さて北辰妙見菩薩はこのように、その国々の帝王のためには大国師となりなさり、また天においてはもとより衆(もろもろ)の星の王として神通自在であるので、神咒経の中で「衆星中の王で最自在(さいじざい)を得て四天下の中の一切の国事をわれはすべて掌握している」と説きなさる。多くの星の王とは前述したように天に連らなって現われる恒河(こうが)沙数のような有名、無名の種々の星の中において、北辰尊星は王である。その他の星は臣下のようで、星のことは漢の甘石申(かんせきしん)が、星経(せいきょう)、天経(てんけい)、或問(わくもん)、事林(じりん)、広記(こうき)、前集、史記、漢書などに記されているのを見よ。群書拾唾(ぐんしょしゅうだ)の中で、「周天三百六十五度四分度の一で二十八宿を連らね敷いて、そして天体を定める。角(かく)、尤(こう)、〓(てい)、房(ぼう)、心(しん)、尾(び)、箕(き)の宿を東方の蒼竜(そうりゅう)の体(てい)とする。凡そ七十五度斗(と)、牛、女(にょ)、虚、危(き)、室(しつ)、壁(へき)の宿(しゅく)を北方玄武の体(たい)とする。凡そ九十八度四分度の一、奎(けい)、婁(ろう)、胃(い)、昴(ほつ)、畢(ひつ)、觜(し)、参(しん)の宿を西方(さいほう)白虎の体(たい)とする。凡そ八十度、井(せい)、鬼(き)、柳(りゅう)、星(せい)、張(ちょう)、翼(よく)、軫(しん)、宿を南方朱雀(しゅじゃく)の体とする。凡そ一百十二度という。」とある。また、事文要玄(じぶんようげん)の天集に広雅(こうが)を引いて次のように記されている。「四方凡そ三百六十五度四分度の一(一度とは二千九百二十一里をいう)二十八宿の間、相去る事、積(せき)一百七万九百一十三里で、径は三十五万九百七十里という。また後漢天文志(ごかんてんもんし)の註の中で、「黄帝(こうてい)星、次(し)を分ける(星次(し)は星宿と同じ、または星舎(せいしゃ)という。道中五十三次(つぎ)というようなものである)凡そ、中外宮(うちそとのきゅう)、常に明るい星百二十四、名のある星は三百二十、微(ちい)さい星は万一千五百二十ある」という。また長暦(ちょうれき)に「大(たい)星は径が百里、中星は経が五十里、小星は三十里」と仏経において星を説いていることは、儒教の説と同じようなものである。仏教には天のいろんな星は過去の天仙(てんせん)が布(し)いて、世界を護持したものとしており、みな諸天の宮殿で、内に天があって住んでいる。依報(えほう)が感ずる所で、福力をもって光明があるという。大集月蔵分(たいしゅうげつぞうぶん)第十の中に、「仏(ほとけ)娑婆世界の主、大梵天(だいぼんてん)王釈提桓因(しゃくだいかんいん)四天王に告げなさるのに、過去の天仙云何(かうん)が種々の宿曜辰(しゅくようしん)を布(し)いて国土を護り、衆生を養育する」とある。大梵(だいぼん)天王などの仏に言うには、「過去の天仙は種々の宿曜辰(しゅくようしん)を分布し安置して、国土を治め護り衆生を養い育てている。四方の中において、司どるところである」とある。
また大集日蔵分(たいしゅうにちぞうぶん)第八の中に、「〓慮〓〓驢神仙人(ぎろしつたろじんせんにん)は多くの衆生を安楽にしようとして、星宿を布(し)いて各々分部(ぶんぶ)している。」という。
また〓慮〓〓(ぎろしつた)仙人は大衆の前において合掌して説くには「このように日月年時、大小の星宿を安置している」とある。
また大集日蔵分(にちぞうぶん)第九送使品(ぞうしほん)の中に、「かの〓慮〓〓(ぎろしつた)仙人は無量劫より来て、種々の福徳を円満に備え、また浄飯(じょうばん)王の家に生まれ、摩耶(まや)夫人の腹から生まれ、手をあげて唱えるには「私は三界の中で最尊、最勝である」と説きなさったということでもわかるであろう。
〓慮〓〓(ぎろしつた)仙人は釈迦牟尼であって、釈迦仏仙人であった時、日月星宿を天に安置することを仙教の仏教より先にしていることをみても釈迦牟尼仏も仙家より出た人だとわかる。
また、大集日蔵(たいしゅうにちぞう)経第八魔王波旬星宿品(はじゅんせいしゅくほん)に星宿のことをくわしく説いてある。また、星の大小を仏説には、増一阿含(ぞういちあごん)経には大星一由旬(いちゆじゅん)、小星二百歩と説き、また樓炭(ろうたん)経には「大星圍(たいせいかこみ)七百二十里、中星圍四百八十里、小星は二百四十里」と説いている。また大集経第二十三昧神足品(さんまいじんそくほん)には光味(こうみ)仙人は二十八宿の衆生の寿命は貴賎に属していることを説き、また文殊師利(もんじゅしり)菩薩および諸仙所(せんしょ)説吉凶時日(じじつ)善悪宿曜(しゅくよう)経には二十八宿の吉凶を説いた。また、大集経第十星宿摂受品(せつじゅほん)、同第六護持品などに星宿のことを説かれることはこのような種々の星宿の中で北辰妙見尊星は帝王として最も神通自在であることを体得されているので、四天下の中のすべての国政や万事を掌握しておられる。
だから神咒経の中で「四天下の中のすべての国事を私はことごとくつき止め、もしも多くの王が正法で臣下を任用しなかったら、心に慚愧(ざんき)はなく、暴虐(ぼうぎゃく)濁乱し、多くの群臣は手当り次第に百姓を酷虐(こくぎゃく)することになる。そこで私はこれらのものを退けて賢者を召し、その王位に代えてもよい」と説かれる。「四天下」とは前述したとおり、須彌(しゅみ)の四洲であって、この日本、漢土、天竺などは南膽部(なんせんぶ)洲の中にある。だからこの四洲、四天下の中のすべての国の政治や万事を北辰妙見が、これをすべてにわたって治めなさっているので、あの漢の夏(か)の桀(けつ)王のようなものが、無道で正しい法令をもって臣下を任用せず、また恥じる心もなく、暴虐で百姓を傷めつけたので、北辰妙見菩薩はこれらを罸しなさり、商(しょう)の湯王のような王は賢者をその王位に代わらせなさった。
また殷(いん)の紂(ちゅう)王のような王は忠臣を退け、悪い臣を任用したので世は乱れ、多くの群臣を手当り次第に退け、または任用し、百姓をひどく苦しめたので、忽ち周の武王がこれを征伐した。このような例は和漢においても古今においても多いのは、みんな北辰妙見が賞罸なさったものである。だから人はこれらの悪王が滅亡するのをみて天命だというのは、天はすなわち北辰尊星上帝が命令されたのでこのようになったという。
「賢能(けんのう)」とは賢(けん)は賢(さとし)とも善(よし)ともよみ、能(のう)とはこれも善(よし)とも能(よく)すともよめる。共に善行ある聖人賢者ということである。孟子の中で「賢者を尊敬し、有能な人を使い、このようにして才徳のすぐれた者が登用せられて役についているというようであれば天下の士はみな悦んで、そのような朝廷に立って仕事をしようと願うであろうし、市場に対してはその市場に貨物を貯蔵したいと願い、そのような道を通ることを願い、そのような王の国の田野を耕作しようと願い、天下の民衆は悦んでそのような君の下の民となることを願うであろう。このようにこの五つのことを実行するならば、隣国の民も王を仰いで、父母のようになろうとする。呂氏(りょし)が言うには「天命を慎しみ行う人を天吏(てんり)という。廃興存亡することはただ天の命ずるままに従はなければならない。湯武(とうぶ)のようなものはこの通りである。」
これは儒家の説であるけれども、北辰妙見の誓いもこれと同じである。天命は上帝の命令であり、上帝とは北辰妙見菩薩のことである。このことは国王だけでなく、一国一城の主や一郡一村の主より大家小宅の主に至るまで、いずれもその主人であるものは身を慎み天命に従うべきである。
次に神咒経の中で「もし恥じて悪を改め、善を修めるなら、また善者を任用し、諸々の悪人を退けて、その心が広く、すべてにわたって慈しみ、広く受けいれ、救済することは橋や船のように、民物を広く包むことは父母のようにする」と説かれている。
「もし能(よ)く慙愧して」とは増一阿含(そういちあごん)経の中で、「仏は諸々の比丘に言われるには、世に二つの妙法があって世間を擁護している。二つとは一つには「慚(ざん)」で、二つには「愧(き)」である。諸々の比丘はもしもこの二法がなければ、世間の父母、兄弟、妻子、智識、尊長、大小を区別することはない。それは畜類と同じである。だから比丘は、よく習って恥を知り愧を思わなければならない」という。
さて、神咒経に説かれるには「慙愧(ざんき)も慙愧(はじはじ)るという意味で、もしも暴虐無道の悪王であってもその悪行を恥て悪を改め、善改を治め、前の非道を悔(く)い、善臣に万事を任せて、善臣を任用して、悪人を退け、広い心をもって、すべてのことに慈しみ愛し、広い器に物を入れるように、すべての人を救済することは橋が諸々の人を受けるようなものである。また舟が航海するようにすべての人を受け入れて大海や江河を渡すような心をもつことである。民物(みんぶつ)とは民人(たみびと)のことである。民は万民、物はすべての物をいう。
玉篇に、「天地の間に生まれたものは何でも物である。物は類(たぐい)ともよむ。民物(みんもつ)を包含するということは包(ほう)は〓(つつ)むという字で胞りともよむ。含(がん)は銜(ふく)むという字で物を口に含(ふく)むことをいう。だから、万人を包容含受(ほうようがんじゅ)する事は物を絹に包むように、口に物を含むように大切にし、大切な宝のように万人をいたわり憐れむことは父母が愛児を憐れみいたわるようにせよ」という。
右のように説きなさる経の意は、もしも諸国の中にその国王、諸侯、一城一郡の主または大家の主のようなすべて諸人の主である人は、その家の元祖より定めている正しい国法や家法をそむき、無慚無愧(むざんむき)で歓楽や奢侈(しゃし)にふけり、女色(じょしき)を寵愛し、忠義の臣下を退け、昼夜ただ文学、詩歌、乱舞、散楽(さるがく)などに精を出し、政治をよこしまでみだらな臣下に任せてその身は昼夜歓楽を意のままにすれば、そのみだらな臣らは私欲のために百姓をひどく虐げ、諸民を苦しめ、その仲間たちに忠良なものがあれば讒言(でんげん)して退け、新古譜代(しんこふだい)の別なく姦侫(かんねい)や忠良の区別もなく、ただ金銀で片付けるか、またはこびへつらう者を主君に進め、登用して、後日の災をかえりみることはしない。ただ眼前の利欲にふけって国家が衰亡することを顧みない。しかるにその国宝や主君である人は忽ちこのことを理解し、自分の悪行を恥じて、いままでの悪を改め、今日より善行を修め、諸々のよこしまな臣を退け、忠良の臣を任用し、心を広くもって、すべての者を慈しみ、容受拯済(ようじゅしょうさい)することは諸々の橋が数万億の人を受け渡すように、また諸々の船が無数の人を入れて救うように、万民を大切にすることは産婦が胞りを大切にするように、また大切な宝を錦に包んで秘蔵するように、または物を口に含むように万民のためになお父母のように憐れみ愛せよという。
書経の泰誓(たいせい)の中に、「天地は万物の父母である。人は万物の霊である。聡明で元后(おおきみ)となる元后は民の父母となる」とある。また性理大全(せいりだいぜん)の中に、「聖人が天地に存在することは子が父母に育くまれているようなものである」とある。大学の中に、「民が好むものを好み、民がにくむものをにくむ。これを民の父母という」とある。唐の帝堯(ぎょう)は心を世の中に向けなさっており、また志を窮民に寄せなさって、百姓の罪にかかっていることをひどく感じられ、一人の民の飢えは自分が飢えさせたようなものであり、一人の民の貧しさは、すなわち自分が貧しくさせたようなものであり、また民が罪を作った時は、自分が彼らを陥し入れたようなものであるといって、自分の身を罰しなさる。その御心は父母が子をいつくしむがようである。
詩経の大雅(たいが)の中に、「和らぎ楽しんでいる君子は民の父母のようなものである」といい、また仏説大薩遮尼乾(たいさつしゃにけん)子経第三の中に、「王者は民の父母である。よく法によって衆生を護り安楽にさせなさるのでこの名がある。王たる者はよくこのことをわきまえなければならない。王が民を養うには、まさに子を養育するように心掛けねばならない。乾いた時はその場から移し、湿った時はそこから去るということは勿論のことである。