七、三種の徳

48 ~ 55 / 110ページ
 次に三種の徳について説明すると、一つには三尊を敬い、二つには貧しい者を憐(あわ)れみ、国土の中にいる一人住まいの老人に情(なさけ)をかけて恵めよ、三つには怨みある者や親しい者がおる中でも常に心を平等にもち、よこしまな怨みを断ち、民物(みんもつ)を不平等に扱ってはならない。まず第一に、三尊を敬うということであるが、三尊という意味は、いずれの仏、菩薩をさしていわれるのか、これを考えてみるに、必ず仏法僧の三宝をもって説いておられるのであろう。四十二章経の中で「百万人の仏の戒めをまもる人や善良な人や四果(しか)たちの支仏(しぶつ)を崇(あが)めるよりは、三尊の教えによって、一世の二親を尊ぶことに越すものはない。
 これも三宝を三尊としている。まことに、仏説では「仏法僧の三宝を敬いなさい」と説いておられる。これは当然のことである。しかし匡弼(くにすけ)が考えるのに、いまこの神咒経には、北辰妙見が国王や人君(じんくん)のために説き示す治国平天下の教戒があるので、三尊もしくは三宝なら、仏法僧を敬うよりは、孟子が言う三宝を敬いなさい。孟子の尽心章句(じんしんしょうく)下の中に、「諸侯の宝は、土地、人民、政事の三つである。この三宝は諸侯だけでなく、帝王のためにもこれに勝る宝はない。帝王や諸侯が三宝三尊として敬うべきことは、孟子が言う三つの宝である。この三つのものを失う時は、国家は成立しない。深く仏説を考えてみる時、江海では船で渡り、陸では馬や輿(こし)で往来するように、天下の政事や五倫(りん)の道は儒教に勝(すぐ)れているものはなく、安心成仏(じょうぶつ)および追善作福(ついぜんさくふく)などには仏教に勝るものはない。だから、和漢古今の帝王、武将は天下を平定し、その国を治めなさっている。その聖徳や武徳の美名が今に伝わっているものに、わが国では神武天皇より宣和(せんか)天皇におよび、それ以後の帝王の政事は専ら万民を慈(いつく)しみ育てることをなさらない。聖王や賢帝または武将、賢将などの行状をもって考えるとよい。また漢においても黄帝より堯、舜、禹(う)、湯(とう)、文武の聖王や五代の周の世宗、宋の仁宗、明の大祖または斉の景公、衛の霊公のように、みな万民の飢えを救い、その苦しさを思って、衣食を諸人に与えた聖慮、賢意はみな北辰妙見の神慮にかなっている。周孔(しゅうこう)の教えや釈迦の教えにも通じている。だから、人たる以上、大いに理解すべきである。
 このように匡弼が説いているものは私意をまじえてはいない。
 またこの神咒経直解(じきげ)という書にはこのところを三尊は三宝といい、世に尊重されているからとして、隋(ずい)の〓(よう)帝の例をあげて説明している。沙門が解いたものであるから、非であると思ってはならない。ただし、匡弼がこのように解いたものであるが、釈(しゃく)氏がこれを見ると非とするであろう。
 日達(にちだつ)の山陰雑録(だつろく)巻の上に、「梁武之(りょうぶの)論として、それには梁の武帝が国をほろぼし、自分の城で、ひっそりと死んだことは、専ら仏法を尊んだことが原因であるという。このことは、俗典に束縛(そくばく)された小見にふさがれている言であると、龍逢(りゅうほう)、比干(ひかん)、周武、周公などをあげて論述している。
 また、石田が都鄙問答(とひもんどう)巻の三に、梁(りょう)の武帝が仏法にこだわって、国家を失ったことを非難しているが、このような儒釈の弁明は、和漢、古今の僧儒が、互に話し合って来たことで珍しくはない。
 さて、匡弼が孟子の三宝をこの神咒経の三尊とするわけは、かえって仏意にかなっている。北辰妙見尊星はどのように見なさるのか。たぶん、非であろう。
 二には貧しいものを憐れみ、その国に両親のない孤児がいたら、慈(いつく)しみ育てて成長させ、老とは老人をいうが、この老人と孤児(こじ)は憐れみ育てなければならない。このことはその国の王の仁徳である。聖徳太子が言われるには、天下の民はみんな天皇の子である。およそ、父母はどうしておろそかに子の飢(え)えを悲しもうか。そうではあるまい。古今三国の聖王や賢君が、男やもめ、後家(ごけ)、みなしご、ひとり者を慈しみ、老翁を憐みなさることは珍しくはない。大薩遮尼乾子(たいさつしゃにけんし)経第三の中に、「王者は常に民のことを心配することは、赤児を思うように心から離してはならない。国内の民の苦楽を知り、時には行脚して、水や旱(ひでり)や風や雨を知り、熟や不熟または豊作や凶作、有無または憂い、喜び、老少、病、不病を知ることに努めなさい」と説かれた。
 さて三には、「怨みある者や親しい者がおる中でも常に心を平等にして」とは、怨みは、怒り恨む事で仇(あざ)、敵(かたき)という仲である。親(したし)きとは人と睦じくして仲良しをいう。大体に、天下国家を治める帝王や諸侯などはその政事に臨み公事訴訟(くじそしょう)を判断することにも、私事に怨みがある者でも、また、睦じく親しい者でも、えこひいきをせず、正直にその事を判断せよとある。これを心が平等であるというのである。訟訴を聴く時は人の身の上をわが身に当てて判断せよ。そもそも、国家の政道を執行する君子は徳をもって行うと、自然に人々は帰伏し、天下国家は泰平となる。徳とは、その道を行って、無為清浄真一(むいせいじょうしんいつ)の霊旨にかない心に得られることを言う。だから、徳とは得(とく)であると解釈している。
 論語の為政(いせい)第二の中に、「政治を行う時に徳をもって当れば、たとえば北極星がその場所に居て動かず、多くの星に相対するようなものである」という。この無為清浄の徳を得るとこのような妙益がある。中庸の中に、「本当の徳を体得したものは必ず地位を得く、禄も得、名誉も得、天寿を全うするものだ」とある。しかし、これだけに留まらない。万事において、得られないということはない。
 秘密三昧(ひみつさんまい)経第三の中に、「怨みある者、親しみある者がいる中で、常に平等に、堅く慈しみの心をもって行いなさい」とある。さて、「よこしまな心を断って、民物を不平等に扱わない」とは「怨(えん)」は仇のこと、「枉(おう)」はよこしまなこと、「断理(だんり)」とは断は判断してものをさばく意味または断絶で物を切り断つ意味なので、考えてみると、怨(あざ)と枉(よこしま)な事を断てという意味であろう。「民物(みんもつ)」は諸人ということと同じで、人の道理あることを曲げて非とし、よこしまであることを曲げて是(ば)としてはいけないという。
 そもそも、万民の上に立つものは、専ら、仁慈をもって国政に臨み、権威でことを曲げず心は明鏡のように物を照らすのに平等でなければならない。老子経の中に、「仇に報(むくい)るときは徳をもって向いなさい」とある。論語の憲問(けんもん)第十四の中に、「孔子が申されるには、何をもって徳に報いたらよいか。公平な判断で、その非道に相当する報いをすべきであり、徳にこそ徳をもって報いるべきである」と。また論語の為政(いせい)第二の中に、「魯の哀公が問いなさるには「どうしたら万民が心服するでしょうか。」孔子は答えて「たとえば、まっすぐな板をそり曲った板の上においてみよ。下の曲がった板もまっすぐになる。同じように正しいものを取り立てて人の上に置けば、人民にせよ、部下にせよ、おのづから正しくなり、心服するに至るであろう」とある。今経(こんきょう)に「民物が正しくなりとある」ことも信じなさい。
 次に、神咒経の中に、「もし、めぐり来る諸々の徳を修めることができたら、私は諸々の大天王、諸々の天帝釈(てんたいしゃく)、伺命都尉(しめいとい)、天曹都尉(てんそうとい)を率いて、死を除き、生にとどまり、罪を滅ぼし、福を増大し、寿命を増し、天寿を全うし、諸々の天曹に申し、諸々の善神一千七百神を遣(つか)わして、国界を守り、国土を守護し、災いを除き、悪を滅ぼし、風雨や時節に順(した)がい、米穀は豊熟し、病疫は消除し、諸々の強敵はなく、人民を安楽にして、王の徳に対してかなうようにする」と説きなさる。
 右の「能上来の諸々の徳」とは、上(かみ)が説きなさる三徳やその他の善行をさす。帝王および諸侯、大夫までも、説かれた通りに修行するなら北辰妙見は自ら諸々の大天王、諸々の天帝釈(てんたいしゃく)および司令都尉、天曹都尉を引き連れなさり早速その国に降りなさって、その帝王をはじめ、公卿、諸侯、大夫より下(しも)は万民に至るまで今にも死にそうな者を救って、その死を除(のぞ)く、「生を定む」とは、その生涯を安定にすることである。そして犯した重罪を償い、善心を起させ、また福徳を増し、寿命を増し、天寿を全うさせなさる。「算」とは、抱朴子(ほうぼくし)の中に三尸九蟲(さんしきゅうちゅう)が言うような人々の罪の大きいものは、紀(き)を奪い(紀とは三百日という)罪が少いものは算(さん)を奪う(算とは三日をいう)とあるが、「算」には多くの説がある。今経(こんきょう)に説かれている算は、寿命のことである。さて、「諸々の大天王」とは、色界の十八梵(ほん)をいう。「諸々の天帝釈」とは、欲天(よくてん)のことである。帝釈を三十三天中王(ちゅうおう)とする時は、諸天は三十二天である。「天」は梵語では提婆(たいば)という。智度論(ちとろん)の中に、「清浄で清らかで、最勝、最尊であるので天と名づける」とある。また、上品(しょうほん)の十善を修めると欲界の一である四天王天や次の〓利天(とうりてん)に生れるという。諸天のことは、長文になるので省略する。
 さて、「天帝釈」とは梵語で釈提桓因(しゃくだいかんいん)という。大論(たいろん)の中に、釈迦を秦(しん)では能(のう)といい、提婆(たいば)を天といい、因提(いんたい)を主(しゅ)という。これらを合わせて、釈提婆那民(しゃくたいばなみん)または釈迦提婆因陀羅(しゃかたいばいんだら)というのを略して、帝釈という。浄名(じょうみょう)の疏(しょ)に「帝釈は昔、迦葉仏(かようぶつ)の滅度(めつど)の時に一人の女性がいた。発心して塔を建てた。その時三十二人がまた発心して助けた。この功徳(くどく)により、〓利天(とうりてん)の主となり、補助した三十二人は輔臣(ほしん)となったので、君臣合わせて三十三天と名づけた」とある。
 さて、「司命都尉(しめいとい)」とは人間の寿命を司どる官人である。「都尉」とは官の名である。浄度三昧(じょうどさんまい)経の中に、「天帝釈の鎮臣(ちんしん)三十二人、四鎮(しちん)大王、司命、司禄(しろく)は、諸々の斎日(さいにち)に、世界に下って、人間の罪福(ざいか)を調べ歩いて、死を除き、生を安定にする」と注記している。博物志の中に、「左を司命とし、右を司禄(しろく)として、人の命を司(つかさど)る」とある。正法念(しょうぼうねん)経の中に伺命(しめい)とあり、この神咒経にも伺命としている。「天曹都尉」とは天人を支配する官をいい、曹は輩(ともがら)という字をあてる。たとえば、漢で吏部(りほう)の官(かん)を東曹(とうそう)といい、戸部(とほう)の官を戸曹(とそう)、兵部(ひょうほう)を兵曹というようなものである。雲笈七〓(うんきゅうしちせん)の洞章の中に、「司命は死を除いて長生、無病にし、上(かみ)天人と常に遊ぶことができる」とある。また、太上咸応編(たしょうかんおうへん)の中に、「人々に三尸神(さんしじん)がある。人の身体の中にあって、庚申(こうしん)の日に天に上り、天曹に詣って、人の犯した罪を告げる」とある。法苑珠林(ほうおんしゅりん)第十に「冥報(めいほう)記に、道(どう)は天帝六道を総統(そうとう)されており、これを天曹という。閻羅(えんら)王は人間の天子のようで太山府君(たいさんぶくん)は尚書令(しょうしょれい)のようで、録五道(ろくことう)神は諸々の尚書のようだ」とある。