そもそも北辰妙見菩薩が、上(かみ)に説かれているような諸々の善行があって、三徳を修行する国王や公卿、諸侯、大夫、一国一城の主、一郡一家の主および万民の家であっても、北辰妙見は諸々の大天王や諸々の天帝釈、伺命都尉(しめいとい)、天曹都尉(てんそうとい)を引き連れて、その国やその家、その所に降りなさり、今にも死にそうな人から死を除き、生涯を安定し、諸々の悪業重罪を身に負っている者には、その悪念を変えさせて、善心とし、福寿を増し、家業を繁昌させ、運を開き、官位を増進し、立身出世させ、子孫や家門を永久に続かせ、人々の思いを幸福にしなさる。また、北辰妙見菩薩は前述した通り、善徳を積み、仁慈を行っている国には、天曹に告げなさって、諸々の善神一千七百神を降(くだ)らせて、その国を守護させられ、災害を除き、心配ごとを除き、よこしまな臣や悪人を滅亡させ、また洪水、地震、大風、大火、旱ばつ、山崩、地裂(さ)け、津波などの種々の災いや五穀が実らず、害虫が稲を枯し、饑饉(ききん)で困窮し、兵乱の難または疫病の流行で人が多く死ぬなどの災害をすべて消滅され、風雨の時に当って米穀が豊かに実り、疫病を消滅し、諸々の強敵もなく、人民は安楽に、その国の帝王の徳にかなうようにすると誓いなさったことを信じ、崇(たっと)むようにせよ。
しかるに、前述した教戒に背き、その行いが悪く、万民の苦を配慮しない国王や公卿、諸侯、大夫より、下は万民に至るまで、その罰を受け、国を失った者への神仏の不思議な霊感は次に、大内多々良(たたら)氏の元祖が尊星を信念し敬って家を興し、また神の誓いに背いて家を亡ぼした事実を略記する。この一事をもって万事を信じよ。また、白雲漫士陶明元(はくうんまんしとうめいげん)が玄武真君(げんぶしんくん)を祈って、母の心痛を治したようすを略記して、その霊感が明白であることを次に載せておく。よって北辰妙見菩薩の不思議な霊験を世の信者に示しておく。
次に神咒経の中に、
「是の王、若(も)し能(よ)く此の陀羅尼(だらに)を読誦(どくじゅ)することを兼ね行はば、譬へ転輪聖王(てんりんせいおう)の如意宝珠を得て、是(こ)の珠神気〓禍(しんけさいか)を消伏するが如くならん。我今此大神咒力を以て上来の諸徳、悉(ことごと)く能(よ)く之を弁じ、〓(わずらい)を消(しょう)し、悪を滅すること、亦復是(か)くの如く、当(まさ)に是(これ)此の大神咒の力の王の明珠の如く、亦復是くの如くすべし」と説いておられる。これは北辰菩薩神咒経の終章である。
さて、「是の王」とは、前述しなさったように、仁慈をよく行い、三徳を修行し、みことのりをよく守り行う国王のことである。このような国王がいて、その上に胡捺波(こたつは)の陀羅尼(神咒をいう)を常に読誦することを行えば、たとえば、転輪聖王が如意(にょい)宝珠を得なさってこの宝珠の神気がすべての災を消滅するようなものであろう。いま、北辰妙見がこの胡捺波の大神咒の妙力をもって、上来に説いた諸々の徳をすべてわきまえて、すべての災い、すべての悪事を消滅することもまたこのようである。これは大神咒の不思議な大神力である。転輪聖王が、宝珠を得てすべての災いを消滅するような妙力もまた、北辰妙見が胡捺波の神咒の神通霊妙な神力を得たものと同じようなものである。
そもそも、転輪聖王とは、天竺においては斫迦羅伐辣底曷羅闍(しゃきゃらばつらつちかつらしゃ)とも、遮迦越羅(しゃきゃおつら)ともいう。倶舎論(くしゃろん)の中に、「この洲(くに)の人の命がはかり知れない歳より、八万歳になって転輪王となる」という。詳しくは飜釈名義集(ほんやくみょうぎしゅう)巻の三にみえる。ただし、金輪(こんりん)、銀輪、銅輪、鉄輪の四種の転輪王がある。この神咒経の転輪聖王は金輪聖王である。長阿含経(ちょうあがんきょう)第十八の中に、「増劫八万四千歳の時、金輪王が出て、灌頂(かんちょう)位を受け継いで、七宝を備える。一に金輪(こんりん)宝、二に白象宝(はくぞうほう)、三に紺馬宝(こんめほう)、四に神珠宝、五に玉女(ぎょくにょ)宝、六に典財宝(てんざいほう)、七に主兵宝(しゅへいほう)である。今(こん)経の如意宝珠は、右の第四の神珠宝であろうか。このことは晋訳(しんやく)の華厳(けごん)経の中にも説いてある。つまり、転輪王道を得ると、その正殿において采女(さいじょ)はとり巻き、七宝は自然と手に入る、一に金輪宝など、七種は前述したとおりである。宝珠は正法念処(しょうほうねんじょ)経第二の中に、「この珠は八種の功徳を備えている。一には夜闇の中で光明を発し、すべてを照らす。昼、熱い時は冷たい光を放って、諸々の熱気を除き、二には広野の水のないところで、人々がのどが渇くと、清浄水を出して、すべてのかわきを解いてしまう。三には、もし転輪聖王が水を願い望む時があれば、王の意のままに清浄水を流出する。四には八つの角材を備え持って各々のかどに種々の色を放ち、五には、広い世界の中の人から病気を離しなさる。六には、この珠は悪竜に悪雨を降らさせるので、もし、降ったら清涼の甘雨に変えなさる。七には、水や草木のない処に、華木を繁茂させられ、池や水も願いのままに流し湧かされる。八にはこの珠のある処に人が横死するものがなくて殺害すれば、諸々の怒りから離して常に和楽にさせる」とある。
前述した如意宝珠のようなものは、八種の功徳があるだけである。いまこの経の中に、北辰妙見がたとえていなさる転輪聖王の如意宝珠はこのような類いではない。別に不可思議無量の大功徳がある宝珠であろう。でなければ、どうして霊験妙応神変無礙不可思議(れいけんみょうおうしんぺんむけふかしぎ)無量の大功徳がある胡捺波の大神咒にたとえなさるであろうか。深く考えなさい。もし、人が真の如意宝珠を知ろうとすれば、匡弼のとりとめのない説を聞きなさい。
昔、釈尊がある時、随色の如意宝珠をもって、五方の天王に尋ねられるには、「この宝珠は何色か」と、五方の天王はお互に答えて、あるいは赤色といい、また青色、または黄色、または白色、黒色であるなどと、種々の色を言った。その時、釈尊はその宝珠を袖の中にかくして、手を持ち上げて「この宝珠は何色か」と尋ねられた時に、五方の天王はみんなで言われるには、「仏の手の中には珠はありません。どうしてその色がわかりましょうか」と。釈尊は嘆いていわれるには、「お前たちはどうして心の迷いがひどいのか。私がこの世の宝珠をもって示すと、各々がその色をいろいろと言う。私が真の宝珠をもって示すと、その色が全くわからないと言う」といわれたので、五方の天王は各々みんな悟りを開いた。諸々の人が、もし北辰妙見の大神咒にたとえなさる如意宝珠を知りたいと思えば、釈尊五方天王に対して、まだ手をあげられない前に会得せよ。北辰妙見菩薩神咒経 完。