(1)市の様子や人々のくらしのうつりかわり


 下松駅は、どのようにかわってきたのでしょうか。

 下松駅の写真をくらべながら、気づいたことを話してみましょう。
1939年(昭和14年)の下松駅(くだまつえき)

1980年(昭和55年)の下松駅

2019年(令和元年)の下松駅

 下松駅は、1897年(明治30年)にできました。1965年(昭和40年)に建てかえられ、山口県で初めて橋の上にある駅となりました。そして、2019年(令和元年)には、車いすやお年よりの人も利用しやすいように、エレベーターが取りつけられました。朝夕には、多くの人が通きんや通学で下松駅を利用しています。
 昔も、多くの人でにぎわっているね。

 階だんのまん中にも手すりがついて使いやすくかわってきたね。

 下松市の交通は、どのようにかわってきたのでしょうか。

 地図を見くらべて、どこがかわったか話し合ってみよう。

昭和6年の下松市の主な交通

令和元年の下松市の主な交通

 1897年(明治30年)に山陽鉄道(さんようてつどう)(今のJR山陽本線)が徳山駅(とくやまえき)まで通り、下松駅ができました。また、1932年(昭和7年)に岩徳西(がんとくにし)線(今のJR岩徳線)ができ、周防花岡(すおうはなおか)駅ができました。それまで、船で運ばれていた塩やいろいろな品物は、鉄道を使って運ばれるようになりました。1975年(昭和50年)には、山陽新かん線が博多(はかた)駅まで開通しました。その後、下松市の人々は、山陽本線や岩徳線を利用して徳山駅まで行き、そこから新かん線を利用して東京(とうきょう)や大阪(おおさか)、福岡(ふくおか)などに行くことが多くなりました。
周防花岡駅

 鉄道は、わたしたちのくらしに大きくかかわっているのだね。

 1918年(大正7年)に、それまでの山陽道(さんようどう)をととのえて、国道2号ができました。また、1993年(平成5年)に、国道188号が今の場所を通るようになりました。それまで朝夕こんざつをしていた下松市のまちの中は、前にくらべて車が通りやすくなってきました。
国道188号

 1990年(平成2年)には、下松市を通る高速道路の山陽自動車道(さんようじどうしゃどう)ができました。下松市には、運転手などが休けいする下松サービスエリアがつくられました。下松市から高速道路を使う場合は、多くの人が近くの徳山(とくやま)東インターチェンジや熊毛(くまげ)インターチェンジを利用しています。
下松サービスエリア

 一方、海の交通をみると、1970年(昭和45年)には、下松市民が長い間のぞんでいた笠戸大橋(かさどおおはし)ができました。その後、これまで本土と笠戸島をつないできた巡航船はなくなりました。
笠戸大橋開通の様子

最後の巡航船を見送る人たち

 笠戸大橋ができて、島の人たちの生活は、どのようにかわったのだろう。