くだまる ものしりコーナー~下松と海~


くだまる ものしりコーナー ~下松と海~


 下松は海上交通にべんりなところです。
 古くは1389年、山口に住み大内義弘(おおうちよしひろ)1が、厳島神社(いつくしまじんじゃ)2をおとずれていた足利義満(あしかがよしみつ)3を宮洲(みやのす)4にまねき、付近を案内したことが分かっています。
 また、1596年には、大内氏に代わってこの地方をおさめた毛利輝元(もうりてるもと)5が、下松に水軍の船倉(ふなぐら)6をおきました。
 1712年になって、徳川家宣(とくがわいえのぶ)7が将軍になったお祝いのために、朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)8約500人が日本におとずれたときも、江戸まで行った帰りに通信使は宮洲や深浦(ふかうら)・本浦(ほんうら)の港で1週間あまりをすごしています。
 さらに、1719年、徳川吉宗とくがわよしむね9が将軍になったときにも、475人の朝鮮通信使に、徳山藩(とくやまはん)は新せんな水やまきをとどけたり、干菓子10や串ナマコ11の箱をおくったりしています。
 いずれも、船でべんりに通行できる海と、使いやすい港がなければできなかったことです。
ことば
1 大内義弘
  大内家の第25代のとの様。
2 厳島神社
  今の広島県廿日市市宮島(ひろしまけんはつかいちしみやじま)にある神社。
3 足利義満
  京都(きょうと)でくらし、武士をまとめていた第3代将軍。
4 宮洲
  笠戸島のむかいがわ。現在の豊井。
5 毛利輝元
  萩(はぎ)の城に住んだ毛利家のとのさま。
6 水軍の船倉
  海上の戦いに使う船をしまっておく倉庫。
7 徳川家宣
  第3代徳川家光(いえみつ)の孫で江戸幕府第6代将軍。
8 朝鮮通信使
  国同士が仲よくするために朝鮮からつかいとして日本に来た人々。
9 徳川吉宗
  初代徳川家康(とくがわいえやす)のひ孫で江戸幕府の第8代将軍
10 干菓子
   水分の少ない、かんそうしたおかし。
11 串ナマコ
   ナマコをゆでてくしにさし、ほしたもの。

 今の上関町(かみのせきちょう)に入港した、朝鮮通信使の船団をえがいた「通信使船上関来航図(つうしんしせんかみのせきらいこうず)」超専寺蔵(ちょうせんじぞう)

 海のおかげで、昔も下松はさかえていたんだね。


 今では、下松の港は工業地いき1を支える工業港2として大切な役わりをはたしています。
 徳山地区(とくやまちく)や新南陽(しんなんよう)地区・光(ひかり)地区の港とともに、1951年(昭和26年)には国の重要港湾3に、1965年(昭和40年)には特定重要港湾4に、そして2011年(平成23年)には国際拠点港湾5の指定を受けました。石炭を安いねだんで安定的に運ぶ港としても日本全国から期待されています。
 2019年(令和元年)8月、大型クルーズ客船6「ぱしふぃっくびいなす」が下松に初めて寄港7し、歓迎イベントが開かれました。船内見学会も行われ、にぎわいました。
 これからも下松は、海や港を利用した様々な取り組みによって、発てんしていくことでしょう。
ことば
1 工業地いき
  多くの工場が集まり、せい品をつくり出しているところ。
2 工業港
  原料を買ったり、せい品を積み出したりするための港。
3 重要港湾
  外国や国内との輸送の中心になる港。
4 特定重要港湾
  重要港湾のうち、外国とのつながりを深めるために、特に重要な港。
5 国際拠点港湾
  特定重要港湾がへんこうされ、18港が指定された港。
6 クルーズ客船
  クルーズ(船の旅)のための客船。宿泊ができ、レストランやバー、フィットネスクラブやプールなどがあり、長い期間の船旅を楽しめるようになっている。世界には350せき以上のクルーズ客船がある。
7 寄港
  航海中に船が港に立ち寄ること。

ぱしふぃっくびいなす
写真提供:日本クルーズ客船
写真撮影:篠本英人