くだまる ものしりコーナー ~戦争と下松~
1937年(昭和12年)には中国と、その後1941年(昭和16年)には、アメリカやイギリスなどの国々と戦争になりました。戦争は、下松市でも、町や人々の生活に、大きなえいきょうをあたえました。
男の人は次々と戦争に行きました。そのため、中学生や女学生までも、工場や農村ではたらくようになりました。食料や着るものも少なくなり、決められた量だけ配られる配給制1になりました。
1944年(昭和19年)末から、日本の各地でアメリカの飛行機によるばくげきがはげしくなりました。下松市でも、1945年(昭和20年)に、当時の日立製作所笠戸(ひたちせいさくしょかさど)工場や日本石油(にほんせきゆ)下松製油所などの大きな工場がばくげきされ、焼けてしまいました。このばくげきでは、工場だけでなく豊井地区(とよいちく)の家もこわされ、多くの人々がなくなったり、けがをしたりしました。
ことば
1 配給制
一人ひとりに物の量がわりあてられ、そのはんいでお金をはらって手に入れるというもの。
1 配給制
一人ひとりに物の量がわりあてられ、そのはんいでお金をはらって手に入れるというもの。