くだまる ものしりコーナー ~大谷ダム1~
山口県の近代化遺産2 うつくしい切石張(きりいしばり)ダム3
下松には、どんな近代化遺産があるのでしょうか?
下松市には、末武川(すえたけがわ)ダム、温見(ぬくみ)ダム、そして大谷ダムの3つのダムがあります。そのうち大谷ダムはもっとも古く、れきしのあるダムです。
大谷ダムは、久原用地部(くはらようちぶ)4が1933年(昭和8年)に着工し、1938年(昭和13年)に完成させました。もともと田畑に水を送るためにつくられましたが、田畑がへって工場や住宅がふえたため、その下流にじょう水場をつくり、病院やアパートに水を送るようになりました。
ことば
1 大谷ダム
高さ27.3メートル、長さ59.1メートルの堂々としたすがたの美しいダム。大正時代から昭和15年ごろまでに全国に約4600ものダムがつくられたが、高さ25メートル以上のダムは7か所しかない。また、農業用ダムは全国に8か所しかない。こうした意味で、大谷ダムは数少なく残っためずらしいダムである。現在は日立製作所(ひたちせいさくしょ)の持ち物となっている。
2 近代化遺産
江戸時代の終わりから第二次世界大戦までの間に建てられ、国や世の中の近代化に役立った文化遺産のこと。
3 切石張ダム
花(か)こう岩という石を30~40センチメートルの長さに切り、コンクリートの表面に張ったダム。
4 久原用地部
久原房之助(くはらふさのすけ)が社長をつとめた会社。
1 大谷ダム
高さ27.3メートル、長さ59.1メートルの堂々としたすがたの美しいダム。大正時代から昭和15年ごろまでに全国に約4600ものダムがつくられたが、高さ25メートル以上のダムは7か所しかない。また、農業用ダムは全国に8か所しかない。こうした意味で、大谷ダムは数少なく残っためずらしいダムである。現在は日立製作所(ひたちせいさくしょ)の持ち物となっている。
2 近代化遺産
江戸時代の終わりから第二次世界大戦までの間に建てられ、国や世の中の近代化に役立った文化遺産のこと。
3 切石張ダム
花(か)こう岩という石を30~40センチメートルの長さに切り、コンクリートの表面に張ったダム。
4 久原用地部
久原房之助(くはらふさのすけ)が社長をつとめた会社。
1951年(昭和26年)に市の水が送られるようになると、水道の水はしだいに市の水にきりかわり、1995年(平成7年)には、生活のための水を送るダムとしての役わりをおえました。
そのうつくしいすがたは、今も大谷山の中腹にのこされています。
現在、大谷ダムを守ろうとする人々の手によって、大谷ダムまでの道の草刈りや整びが続けられています。しょう来は記ねんじゅをうえたり、花畑、長いすべり台、ハイキングコースなどをつくろうと、ゆめを語り合う人々もいます。
豊井地区はまもなく区画整理が始まる予定です。大谷ダムが市民のいこいの場として、にぎわいを取りもどす日は近いかもしれません。
わたしが子どものころは、大谷ダムに小ぶねをうかべて遊んだり、ハイキングに行ったりしていたよ。大人もたくさんいて、ダムは市民のいこいの場だったんだよ。 |
ダムの表がわにもうらがわにも白と黒のとってもきれいな石が張られていて、その美しさは、山口県でも一番だと私は思うわよ。 |
大きなダムは、どのようにしてつくられたのかな。 |