(1)残したいもの伝えたいもの


 下松市には、残したいものにどのようなものがあるのでしょうか。

閼伽井坊多宝塔(あかいぼうたほうとう)

 この塔は、花岡八幡宮の境内にあります。室町時代の中期から後期にかけてつくられたと考えられており、国の重要文化財となっています。
 毎年、1月には、文化財愛護デーに合わせて花岡小学校の児童が、多宝塔(たほうとう)の消火訓練に参加しています。地いきの人たちと古くから残るこの塔を大切にしています。
 また、下松には、600年の初めのころ松の木に星がふったという伝説が残っています。その松の木の子孫が、「鼎(かなえ)の松」として、金輪(かなわ)神社に残されています。この松を守るため、下松小学校の児童は、地いきの人といっしょに、「こもまき」を行っています。
消火訓練をする花岡小児童

鼎の松のこもまき

 これからも伝えていきたい祭りにはどのようなものがあるのだろう。

 毎年11月3日に花岡地区で、稲穂(いなほ)祭りが行われます。「きつねの嫁(よめ)入り」の行列が有名で、市外からもたくさんの人がおとずれます。
 「きつねの嫁入り」の行列には、幼稚園児から大人まで、多くの人が参加します。
きつねの嫁入りの行列

 また、毎年7月には、笠戸(かさど)島の深浦(ふかうら)地区で、海の安全を願って十七夜管絃(じゅうしちやかんげん)祭が行われます。深浦湾の2つの厳島大明神(いつくしまだいみょうじん)の鳥居を、50こ以上のちょうちんをともした船でめぐります。
十七夜管絃祭のようす

 地いきの人が、これまで大切にされてきた祭りをこれからも伝えていきたいな。

 古くから伝わる芸能はどのように受けつがれてきたのでしょうか。

 切山歌舞伎(きりやまかぶき)1は、切山地区で260年にわたって伝わってきた芝居です。毎年10月に切山八幡宮で演じられるほかにも、山口県内のいろいろな場所で演じられてきました。明治のころには朝鮮(ちょうせん)半島や中国でも公演が行われました。そして、1976年(昭和51年)には山口県指定無形文化財に指定されました。現在も、保存会や後援会の人々が協力して、演じています。
ことば
1 歌舞伎
  せりふ、音楽、おどりを一つにして、演じる芝居のこと。

切山歌舞伎の始まり
 江戸時代、切山の長重良(ちょうじゅうろう)という人が、京都(きょうと)からの帰りに大阪(おおさか)で芝居などを見て、たいそう心を動かされました。ある夜、長重良がねていると、まくらもとに神があらわれ、「切山八幡宮の秋祭りで歌舞伎を演じると切山地区がゆたかになる」と話されました。そして、長重良は、子どもの三四郎を大阪へ歌舞伎の修行に行かせました。3年間の修行の後、三四郎が村の若い人十数人を集めて教えたのが始まりといわれています。

切山歌舞伎「蝶千鳥曽我(ちょうちどりそが)物語」

 これまでも多くの人を楽しませてきたのだね。

 東陽小学校の児童が中心となって、「こども歌舞伎」も演じられています。ふるさとに伝わる芸能を大切に演じています。
こども歌舞伎

 また、花岡地区では、花岡歌舞伎が演じられています。1989年(平成元年)から、県内につたわる民話を題材にした、方言歌舞伎に取り組んでいます。
花岡歌舞伎

切山歌舞伎(きりやまかぶき)後援会の梅田さんの話
 切山歌舞伎には、切山八幡宮やこの地いきを大切にしたいという人々の思いがこめられています。
 「こども歌舞伎」を演じる東陽小学校の子どもたちにとって、心のふるさとになってほしいと思っています。これからも、切山歌舞伎は、切山地区の人々の心のよりどころとして引きつがれていくことを願っています。

切山八幡宮