下松でできた塩は、どこに売られたのでしょうか。
下松でできた塩は、北前船1で関西(かんさい)や日本海側の港、遠く北海道などにも運ばれました。山陰(さんいん)の倉吉(くらよし)や米子(よなご)(鳥取県)でおろされた塩は北塩(きたしお)2とよばれ、中国山地の山おくにまで牛や馬で運ばれ売られました。
また、九州の門司(もじ)や筑後柳川藩(ちくごやながわはん)(福岡県)、関東地方などにも運ばれました。
ことば
1 北前船
江戸時代から明治時代にかけて、関西から下関を通り、北陸地方までを行き来した船。荷物をあずかって運ぶのではなく、船主自身が荷物を売り買いした。
2 北塩
日本海側から運ばれる北塩に対して、瀬戸内海側から運ばれる赤穂(あこう)(兵庫県)の塩は南塩とよばれた。
1 北前船
江戸時代から明治時代にかけて、関西から下関を通り、北陸地方までを行き来した船。荷物をあずかって運ぶのではなく、船主自身が荷物を売り買いした。
2 北塩
日本海側から運ばれる北塩に対して、瀬戸内海側から運ばれる赤穂(あこう)(兵庫県)の塩は南塩とよばれた。