久原房之助(くはらふさのすけ)は、1917年(大正6年)、塩田跡地に日本汽船笠戸造船所(船をつくる工場)をつくりました。しかし、船を一せきもつくることなく、その後蒸気機関車などの鉄道車両をつくり始めました。
1921年(大正10年)、日本汽船笠戸造船所は日立製作所に買い取られ、日立製作所笠戸工場と名前を変えました。その後、1924年(大正13年)には国産第1号の大型電気機関車を、1931年(昭和6年)には国産第1号のディーゼル機関車を、そして、1963年(昭和38年)には東海道新(とうかいどうしん)かん線(せん)0系電車をつくり、今の「ものづくりのまち下松」のもととなりました。
さらに、1999年(平成11年)、日立製作所笠戸工場から笠戸事業所へと名前を変え、現在は電車、新かん線、モノレールなどの鉄道車両を国内や外国向けにつくっており、世界中に下松市でつくられた車両が走っています。
「ものづくりのまち下松」のスタートだね! |