くだまる ものしりコーナー~長岡外史(ながおかがいし)~


くだまる ものしりコーナー ~長岡外史(ながおかがいし)~


 下松出身の有名人には、どんな人がいるのでしょうか?

~日本のスキーと飛行機の発てんにつくす~
 長岡外史は、1856年に生まれました。伯母(母の姉)にあずけられあと、8歳で末武(すえたけ)村(今の中村小学校近く)の母の実家へ帰され、花岡にある寺子屋1「石田塾(いしだじゅく)」で漢学2と和算3を学びました。
 11歳のとき、徳山藩士(とくやまはんし)、長岡家の養子4となり、その後、山口明倫館(やまぐちめいりんかん)5で勉強しました。14歳のとき、歴史書「日本外史6」を暗唱したのを毛利藩(もうりはん)第14代藩主毛利元徳(もうりもとのり)が知ることとなり、「外史」という名前をおくられました。
 1875年(明治8年)、19歳になった外史は、東京の陸軍学校に入り、軍人になりました。
 1910年(明治43年)、新潟県高田(にいがたけんたかだ)(現在の新潟県上越(にいがたけんじょうえつ)市)にいたときに、オーストリアの軍人レルヒ少佐にスキーを教わり、スキーを軍隊に初めて取り入れました。また、雪のために運動不足となりがちだった女性や子どもたちにも熱心に教えました。これが日本のスキーの始まりです。
 1915年(大正4年)には、「国民飛行協会(こくみんひこうきょうかい)」をつくり、飛行機を日本各地に広めたり、優秀な飛行士を育てたりしました。また、下松をはじめ全国各地で飛行機操縦実演と講演会を行いました。
 その後、国会議員となり、空港の建設や飛行機の路線を開くことなどを提案し、活やくしました。
ことば
1 寺子屋
  寺などで、町人の子どもに読み書き・計算などを教えた学問所。
2 漢学
  中国から伝わった学問。
3 和算
  日本独自に発達した数学。
4 養子
  親子関係になること。
5 山口明倫館(めいりんかん)
  山口市にあった藩の学校。
6 日本外史
  江戸時代の終わりに書かれた歴史の本で、多くの偉人が好んで読んだ。

長岡外史

手には何を持っているのかな?