[概説]栗橋関所と市指定文化財「島田家文書」

Ⅰ 栗橋関所と関所番士島田家
 栗橋関所は、正式には「房川渡中田関所(ぼうせんわたしなかだせきしょ)」(以下、栗橋関所)と称され、「入り鉄砲に出女(いりでっぽうにでおんな)」を取り締まるため、日光道中栗橋宿(現 埼玉県久喜市)の北端にある利根川の渡船場・房川渡の傍らに設置された。利根川の対岸は中田宿(現 茨城県古河市)である。房川渡は、元和2年(1616)に幕府年寄衆が発給した、いわゆる「定船場法度」(『御触書寛保集成』)によって定船場16か所の一つに指定されている。定船場では、それ以外の渡船の禁止と女・手負(ておい、怪我人)・不審者の取り締まりが命じられていることから、房川渡は近世初期にはすでに関所に近い機能を果たしていたと考えられている。
 栗橋関所の創設については、一説には寛永元年(1624)とされる。この説は関所支配の代官である伊奈忠治(ただはる)が、寛永元年に関所番士4人を取り立てたこと(埼玉県立文書館所蔵足立家文書No.19「御関所御用諸記十三」)を根拠とするものである。
 
栗橋関隘

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栗橋関隘
(くりはしかんあい)
『木曽路名所図会 六』
久喜市立郷土資料館所蔵資料 目録
『木曽路名所図会』一覧


 栗橋関所は日光道中の発展に伴って重視され、関東代官の伊奈氏によって支配された。寛政4年(1792)の伊奈氏改易後は、勘定奉行が関東郡代兼役で支配するようになる。文化3年(1806)に関東郡代の中川忠英(ただてる)が大目付に転役すると関東郡代は廃止され、栗橋関所の支配は再び関東代官に引き継がれることになる。栗橋関所の管理は、4家の関所番士が勤めた。寛永元年に伊奈忠治の家臣である冨田・新井・佐々木・森家が就任し、のちの交代を経て、近世後期には冨田・島田・足立・加藤家が関所番士を勤め、明治2年(1869)の関所廃止まで続いた。
 関所番士である島田家は、栗橋関所番士の落合家の後任として寛政10年(1798)に、小仏関所(駒木野小仏関所とも。現 東京都八王子市)から栗橋関所に赴任した。島田家の先祖は、甲斐武田氏の家臣で、天正10年(1582)の武田氏滅亡後、甲斐に居住したとされる。寛文元年(1661)、初代弥兵衛の親類にあたる大久保太郎左衛門が小仏関所番士を罷免されると、太郎左衛門に代わり初代弥兵衛が小仏関所番士に取り立てられる。以降、島田家は代々関所番士を勤めることになり、寛政10年、6代市郎兵衛のときに栗橋関所への転勤を命じられる。市郎兵衛は5代勝次郎の実弟で、伊奈忠尊(ただたか)支配の安永7年(1778)に家督を継ぎ、文政4年(1821)に隠居した。市郎兵衛の跡式を継いだ7代次郎蔵は、川口村(現 埼玉県加須市)名主真中治助の叔父にあたる。文政2年(1819)に市郎兵衛の娘須磨(すま)の婿養子となり、同4年に家督を継ぐが、翌年隠居する。8代源次郎は、下川崎村(現 埼玉県幸手市)名主丸山文左衛門の弟で、文政5年(1822)に市郎兵衛の孫らくの婿養子となり、同年家督を継ぎ、天保12年(1841)隠居する。9代耕平は、中川崎村(現 埼玉県幸手市)名主奈良次郎兵衛の次男で、天保12年に7代次郎蔵の娘つぎの婿養子となり、同年家督を継ぐ。安政5年(1858)には長男一之輔(のちの10代定勝)が関所番見習となり、明治2年(1869)に関所廃止を迎えることになる。
 
県令集覧

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県令集覧〈部分〉
(けんれいしゅうらん)
万延元年(1860)
島田家旧蔵資料 目録

 江戸幕府の郡代・代官と役所別属僚の一覧。万延元年の栗橋関所は、代官川上金吾助の支配にあり、関所番士として冨田庫助・島田耕平(9代)・加藤摝兵・足立十右衛門、関所番見習に冨田潤三・加藤杢兵衛・島田一之助(一之輔、のちの10代定勝)・足立柔兵衛の名が確認できる。


Ⅱ 島田家文書における栗橋関所資料の概要
 島田家文書は、236件(385点)からなる文書群である。平成18年(2006)4月に栗橋町指定文化財(現久喜市指定文化財)となり、平成28年(2016)3月に所有者である島田昌弘氏から久喜市立郷土資料館に寄贈された。
 文書群の内訳は、栗橋関所資料が約310点、島田家関係資料が約50点である。栗橋関所資料のうち約260点は通行証文で、慶安元年(1648)を初見とする。また、栗橋関所資料には、文久元年(1861)から同3年(1863)にかけて作成された「御用留(ごようどめ)」が10冊現存する。島田家文書の「御用留」は、栗橋関所に保管されていた「御関所日記」から過去の記録を抜粋して書き写し、手控えとしたものである。栗橋関所で同役の足立家にも同様の資料(埼玉県立文書館所蔵「足立家文書」・埼玉県指定文化財)が現存し、島田家文書と共に栗橋関所の実態を示す貴重な資料となっている。