久喜市立図書館/久喜市デジタルアーカイブ
本多静六関係資料
「日本の公園の父」本多静六の残した資料
―本多静六関係資料―
本多静六
本多静六は慶応2年(1866)、南埼玉郡河原井村(現久喜市菖蒲町河原井)に折原家の第6子として生まれました。東京山林学校(後の東京帝国大学農科大学)に入学後、一橋家の元家臣で彰義隊の幹部でもあった本多家に婿養子となり、ドイツ留学を果たします。帰国後は東京帝国大学で教鞭をとり、明治32年(1899)には日本で最初の林学博士となりました。海外での経験を活かしながら、鉄道防雪林の導入や明治神宮の森の造営などの実業活動もてがけ、埼玉県人会副会長、埼玉学生誘掖会会頭として郷土埼玉県の発展のためにも尽力しました。晩年には、自身の収入の四分の一を貯蓄・投資にあてて築きあげた財産の大半を公共事業に寄附し、所有していた奥秩父の山林も育英資金のため埼玉県に寄贈するなど、社会貢献に取り組みました。
参考:「博士の生い立ち」
参考:「博士の業績」
銓子
晋
ここでは本多静六に関する資料を中心として、公園等の設計案や文書、写真をご紹介します。また、本多静六が婿養子に入った本多家に関する資料も取り上げ、日本で4番目の公認の女医となった妻・銓子、彰義隊の幹部だった養父・晋に関する資料もご紹介します。
本多静六記念館企画展リンク
「本多静六を支えた妻銓子と養父晋」解説シート
設計案
本多静六が手掛けた公園等の設計案です。
資料一覧
本多静六関係文書
本多静六に関する文書です。学生時代の記述や海外での記録、著作物などを公開しています。
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本多家・折原家関係文書
本多静六が婿養子に入った本多家や本多静六の生家である折原家に関する文書です。日本で4番目の公認の女医となった妻・銓子、彰義隊の幹部だった養父・晋の記録などを公開しています。
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写真
本多静六自身の写真のほか、本多静六が婿養子に入った本多家、本多静六の生家である折原家に関する写真を公開しています。
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