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  子十一月
一御目付共江左之通被仰出之、
 申渡
一養源寺・勝寿院等江御出
 被遊候時分、為御先詰御側
 之者共罷越候節、只今迠
 者御小姓頭并御側之内
 御者頭之面々江者、御借人
 相渡候得共、向後惣而御倹
 約之内ハ御借人相止メ可申旨
 被 仰出之、今日御目付共江
 申聞ル、
 子十二月朔日
 
  (改頁)
 
一熨斗目着用之儀、
 万祥院様御代淀江御所替之
 砌、御不勝手ニ付御家中御物成
 御借り増被 仰付候ニ付、御倹約
 厳敷被 仰出候間、熨め着用
 之義も奉行役以上斗与被
 仰付候得共、此度段々御吟味
 之上、於佐倉被仰付候通、格式
 有之面々所持之者者、着用
 勝手次第ニ可仕旨被仰出候
 ニ付、御目付共を以夫々ニ申触
 させ候事、
  附り、委細之義、十二月朔日之日記
  有之也、
 
 
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  子十二月廿四日
一御年寄共妻ゟ御祝儀等ニ而
 御肴指上候儀、左之通
 御直ニ被 仰付之、
         八太内蔵允
         田辺松之助
         稲葉七兵衛
 右三人之家者格別ニ付、妻ゟ
 御肴等指上候儀ハ勿論ニ候、若
 妻之障り等ニて娘有之候ハヽ、
 其娘より可差上候、尤嫡女斗
 ニ可限候、且亦、右之外依勤功
 
  (改頁)
 
 別家之者御家老(ママ)老職被
 仰付候ハヽ、其者之相勤候内斗ハ、
 妻より御肴等可指上候、御役
 辞シ候ハヽ差上ニ不及候之間、
 向後右之通相心得可罷在旨
 被 仰出之
  但、右嫡女他江嫁シ参候とても、
  御肴可指上旨御意ニ候事
一稲葉四郎兵衛妻〈稲葉勘ケ由嫡女也〉義、
 御肴差上候訳、右同日之日記ニ
 委細記之畢、
 
 
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一小山仁左衛門養子前願之儀
 ニ付被 仰付之趣、去【(取り消し線)□】十二月
 廿五日之日記ニ委細有之也、
  享保十八癸丑年
   正月四日
一元日ゟ七日まて麻上下着用之儀、
 佐倉においてハ七日迄致着用候得共、
 淀江被成 御越候以後者五日迄着用、
 六日にハ平服ニて罷出、翌七日ハ上下
 着用之儀ニ候、佐倉・淀両様に分り
 候ニ付、其趣を以相伺候処、七日迄上下
 着用仕続ヶ候様ニと御小姓頭佐瀬
 千左衛門を以被 仰出候ニ付、其旨
 
  (改頁)
 
 御目付共へ申渡、夫々ニ通達為
 仕候、尤格式有之面々ハ熨斗目
 致着用候事、
 
享保十八年癸丑年
   正月十二日
一町奉行共江左之通申聞候、
 此節御先手組より牢屋加番ニ
 差出置候御先手組之もの共、
 段々相滅シ候ニ付、所々御番所其
 外無拠御使方等迄もニ滅候同心
 共弐拾四人有之事候間、牢
 屋番等も町組ニて相済、同様ニ
 取計可被申候、御大名様方
 
 
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 御通り其外公用等ニ付、同心とも
 大勢入候節、又者入牢之囚人ニ
 より加番可被 仰付候間、兼而左様
 可相心得候
 但、当時納所火元藤七入牢
 いたし候節ニ付、左之通被
 仰付候、
右之趣、当番八太三左衛門申渡
候之事、
 
享保十八年癸丑年
 正月十五日
一御勝手向之儀ニ付、左之通被
 仰出候、左之御役人共於
 御前御書付之趣被 仰出之、
 
  (改頁)
 
        御勘定奉行
        出入司
        御目付
  覚
一近来検約之筋改諸役所
 大方呑込、無益之入用相減シ、
 惣躰入り宜敷相聞江候、然
 処、物毎手迫(近カ)候様成来、第一
 我等心持茂諸事申付能ニ候、
 左候得者、役人共茂用筋弁シ
 安キ様ニ取扱度可成行候、然
 時者、又勘略之本意違候間、
 我等茂心持改候、依之少分之義
 成共了簡を加、厳敷可取計候、
 勿論上ゟ出候間、用向たりとも
 
 
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 費之筋無遠慮可申出候、江戸
 之義ハ、内外別而可有之事候、
 当分之間ニ合候者見苦分不
 苦候、在所者勿論之事ニ候、随分
 此上打(衍カ)打はまり、下役之者茂
 申含可致勘弁候、已上
  丑正月
右委細之儀、同日之日記有之也
 
  丑正月廿六日
一紹太様百回御忌御法事
 無御滞御執行被遊候、御家
 御長久御遠忌御執行被成、
 御満悦被思召候、依之御殿
 
  (改頁)
 
 詰合当番之面々江御酒・
 御吸物被下候、委細日記有之也、
 
  丑正月廿八日
一御目付共へ左之通被仰出、於
 御用部屋申渡之、
           御目付江
 小普請方、御目付一同ニ兼帯
 被 仰付候、只今迠片岡定右衛門
 勤来り候趣申談、存寄有之候ハヽ、
 勤筋致差略、大内一郎左衛門ヲ以
 可相伺候、尤
 御直ニ被仰含候品モ可有之候、
一下総御領分御代官手代石原清
 治兵衛不届ニ付、追拂被