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画像 101
一御家中為御手当御吟味被仰付之、高
 利之借金等(ママ)無成来候、然処借用
 高相増候而者、御奉公之筋ニも可為
 難儀条、当春ニ至り口入方借用
 高之内、去暮迄五年元居致
 来候分、当年より元金を以五年
 賦被仰付候、尤割合等之儀者、口入元
 方御役人江可承合候
一右之通被仰付候得共、猶為御手当
 当春迄借用高之内五分通
 今年ゟ元居致置、利分通
 済ニ可取計之旨被仰出候、勿論
 此以後随分諸事倹約を相加、
 御世話不罷成様ニ可心掛事
 
  (改頁)
 
一御借米も有之中、自分取廻シを
 宜致、借金等不致相勤候面々具相
 達、尤之事ニ候、弥此以後右心得を以
 何分取続御奉公丈夫ニ相勤候様ニ
 可心掛候、右之趣向後御家中
 為心得申聞置候様ニ御沙汰ニ候、以上、
   酉正月
右之通、夫々書付相渡候事
 
元文六年酉正月廿八日
一左之書付御目付共江相渡、寄々
 申通候様ニ申聞之、
 
   覚
十一月朔日ゟ同月晦日迄可相納候、
 
 
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一高百石以上分限之人数、草鞋
 一ヶ年一度宛可相納候事、
一馬沓、高百石以上九百石取迄弐足ツゝ、
 千石以上者馬持数ニ随而、是又草
 鞋同様ニ可相納候事、
右者、京都御火消御用として御家中之
面々年々相納置候様ニ寄々可申通事、
 酉正月
 
寛保元酉年十月十二日
一左之書付御番頭塚田杢助御用部屋へ
 召呼、仲ヶ間江も申談相渡之、其外
 御者頭江も御用人之内江相渡、御小性頭
 御目付共をも召呼、夫々申談候様
 申聞候事、
 
  (改頁)
 
  惣而近来不相応成長脇差、又者
  器量ニ不相応之短キ脇差指候
  面々相見候、目立候而、当時
  上之御趣意ニ不相当候、畢竟
  自分々之得手不得手有之上、
  心掛之筋を以相用候義ニ付、急度
  御咎之義者在之間敷儀ニ候得共、
  与風存違見分を第一ニ心得
  候得者、御沙汰等在之節意却ニ
  罷成、人々不慥ニ可被思召候、先者
  刀弐尺三寸より五六寸迄、脇
  指者一尺七八寸ゟ弐尺一弐寸
  迄相用候様ニ在之度義ニ候、
  此段年若成面々可被申聞候、
 
 
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  勿論右ニ准、大小之拵、衣服并髪之
  風俗迄茂目立候義無之様ニ致、
  御代々御家風を相守、当時ニ而はやり
  候義を不相用義主一ニ相心得候様
  可被申伝候、以上、
   十月
 
寛保元酉年十月十五日
          御旗奉行
          御者頭共
御先手組之者共鉄炮稽古申付置
候之処、頭々頼味ニ入候ニ付、段々寄合茂
宜敷一段之事候、依之来夏より一組不
残鉄炮稽古為致、右之内五人宛
弓稽古可為被致候、指南之儀者、沖之允・
 
  (改頁)
 
軍兵衛被仰付置候、可及相談候、且又
御旗組之者とも向後心得も在之候間、
御先手同意ニ弓鉄炮稽古為致、帳前
等在之様ニ可申付候、尤御旗之者
召抱候節、旗竿を差せ器量吟
味之上召抱候様二可被心掛候、委細
年寄共可申聞候、
  江戸組之者も同様被仰付候
 
寛保元酉年十一月朔日
一左之面々壱人宛召呼、左之通申渡候、
        御番頭
        並番頭
        寄合支配
 
 
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        御旗奉行
        御者頭
        御持長柄奉行
        数長柄奉行
        御小性頭
        御側
        町奉行
        御勘定奉行
        同目付
        御留守居
        御目付
当年収納米を以、来年中御勝手
向相積候処、当秋者世上取沙汰と
相違、御取毛不宜、米直段
を以相考候得者、去秋満水
 
  (改頁)
 
在之節之御収納米と同様ニ
相当候、去年・当年と両年
打続御不足米過分罷成候段、
御勘定奉行共申聞候ニ付、右之通、
年々御不足ニ罷成候而者、及
後年永キ御借米被仰付候
より外無之候、左候而者
上之御趣意ニ不相当、何茂御役
相勤候面々不本意候、然上ハ
先達而御定被置候通、百石ニ
付五分通り之割合を以御
家中ゟ上米被仰付可然旨及
指図候処、去年・当年両年
本知渡被下置候ニ付、御家中末々迄
 
 
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甚御手当ニ相成、其上御定法茂
相立御為ニ茂宜候処、此節ニ至り
上米被仰付候ハヽ、一同新当可申候、
何とそ来春ゟ厳敷御倹約
被仰出、来暮ニ至弥御不足ニ相成候ハヽ、
割合を以上米被仰付候様仕度之
旨、御勘定奉行共再応申聞候
ニ付、則達御聴候処、御勘定奉行共
存寄一段尤被思召候、依之来
春ゟ三ツ渡り之分限之心得ヲ以何茂
相勤、人馬共了簡を加江倹約
いたし、来暮ニ至り上米被
仰出候節、不致難儀候様ニ兼而
御家中之面々江も可申聞置之旨
 
  (改頁)
 
御意ニ候、此段支配ニゟ末々迄可被
申聞候、以上、
 
寛保元酉年十一月廿一日
一左之書付両通、御番頭仲ケ間并
 相組々江通達在之様ニと、新兵衛ゟ
 御番頭塚田杢助迄以手紙差
 遣之候、
   覚
一弐百石以上格式有之面々、後地廻り
 鑓為持候義勝手次第ニ被仰出候、
 此段可被相心得候、
一三百石取之面々、来戌年ゟ役
 馬所持之筈被仰出置候得共、
 来年中三ツ渡りを以随分倹約