画像番号一覧
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 二ノ丸ニ御城主御住居被成候事
    付札 此格を用申候
一客屋 一ヶ所京口御門之外小橋詰ニ有之
 右者常御客并他所ゟ之使者、此所ニ而取次致饗応候事
  但常者番人差置不申候、客屋預山上武右衛門方ゟ使者有之候旨告来候得者、早速取次差出申候、年始帰城之砌ハ取次差出置申候
 
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    付札 本文之通御座候
一小橋之上宇治川之内伊勢宮申社有之候、御城主ゟ修補被仰付候、且亦将軍家為御祈祷料高五石被附置候、淀姫大明神之神主河原崎伊豫兼帯神役相勤候事
    付札 右同断
一今度志州江召連候寺院之内福田寺事勧修寺御門跡之御末寺ニ而御額等被下置候、依之
 
 
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 福田寺之号潰候儀難成訳石川宗十郎様ゟ被仰伝、去卯年濃州加納ゟ召連候祈願弥勒院入置候得者、福田寺之号変置候事
    付札 別帳ニ有之候
一大阪ゟ伏見江通行之船小橋杭木ニ障り候得ハ、問や弥五郎右衛門・伊助方ゟ人数差出船打砕申旧例ニ候、御大名様方御乗船障り候而も留置致吟味候事
 
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    付札
     此格ニ准候船頭水主留置京都御所司代町御奉行所へ御届申、御下知次第取斗候、近年伺之上ニ而過料可被仰付との御沙汰候
    一御大名様御船終ニ杭木ニ障り候事無之候
一御城内御櫓一ヶ所荒布櫓と唱候、右者為兵糧あらふ御詰被成候付而如此唱申候
    付札 本文之通御座候
一京口御門脇之御櫓一ヶ所、右之御櫓御上洛之御成道具入有之候由、宝永四亥年
 
 
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 十月大地震の節此櫓破損、翌子年四月御修復出来、石川主殿頭様町奉行・作事奉行并木村惣右衛門様手代立会御道具相改如元納之、木村源之助殿印形之封御附置候由、去卯年入替之節、右御櫓封之侭ニ而受取其以後封切不申候、今度も右封之侭ニ而引渡可申事
    付札
     本文之通候此方江受取
 
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     終ニ改候儀無之候、先年卯年封印之侭尓て有之候、乍然木村惣右衛門様当時御出府ニ付、御帰京後御改可被成沙汰御座候
一御城主様御入部之節、町人百姓御目見ニ罷出候場所、江州御領分之庄屋共海道筋落合村江罷出ル
一城州・摂州・河州御領分之庄屋共とも淀町人淀小橋詰江出ル
    付札 二ヶ条共本文之通御座候
一御馳走ニ被差出候川御座船之内江
 
 
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     茶弁当
     小弁当
     御酒入
    付札
     御先ニゟ品々船之内江入申候先船斗差出候、船奉行者罷出候坊主料理人者出不申候、御通行之御方此方之舟ニ而御渡船被成候得者、船奉行并水主江被下物拝受為致候、
    船奉行麻上下着用、御召船ニ乗り水主之支配仕候、坊主一人・料理人壱人乗セ申候
    使者船一艘 水主三人・若党弐人・鑓持挟箱草り取・夜者手提灯
 
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    付札 本文之通御座候
    但、淀御通行之御大名様方より之舟奉行同水主町奉行小役人江御目録被下候節者、前御城主様御代与拝領被仰付候由
    付札 右ニ記候通候
一御本丸御玄関前之御門を入、北之方指口之三階櫓ニ足軽六人昼夜指置、両人ニ而不寝之番申付候、京都伏見又者地火之節此所ニ而鐘太鼓為打申候事
    付札 本文之通御座候
 
 
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   附り
   右御櫓二階ゟ上江挑灯等惣而火之明り停止之事
一三ノ丸ニ而時之太鼓為打申候役人申付、定番盤此所ニ有之事
    付札 本文之通御座候
一淀城下水垂村者、京都雑色松尾与左衛門支配ニ而諸事触流等与左衛門方ゟ仕来候事
    付札 本文之通御座候
一牢屋 一ヶ所
 
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 右、去ル卯年入替之節者、京口御門之内ニ有之候処、木津堤足軽町之末江引移申候、
    付札 本文之通御座候
一淀ゟ江戸迄道法并旅行之日数
   東海道 百弐拾五里
    御城主御旅行 十二日振
    家中之者   十一日振
    早飛脚    四十八時ゟ
           五十時迄
    常飛脚    六日七日経
    公儀飛脚   八日九日振
    同又者勤   十日十一日振