画像番号一覧
画像 76
一京都之外火災ニ人数出ス心懸之場
八幡・伏見 大火之節
宇治 御茶壺御逗留中
一国役人と申候而大坂表町人ニ申付扶持方とらせ、摂河知行所百姓共大坂御奉行所江罷出候節、国役之者召連罷出取扱仕候由、此方ニ而も大坂日野屋庄左衛門与申もの申付候、猶於淀委細御聞合可被成候
(改頁)
一淀川通舟之事、川中ゟ御城之方江者船寄させ不申旧例ニ而御座候由、依之小橋下常往来之間ゟ納所之方ハ無構、何レ之間ニ而も通し申候、干水之節ハ納所之方浅く成候付、船年寄共相願候得ハ、遂吟味常往来之方ゟ御城之方江一ト間差免申候、其上ニ而も願候得ハ三之間迄者免し来候、洪水之節ハ
一京都之外火災ニ人数出ス心懸之場
八幡・伏見 大火之節
宇治 御茶壺御逗留中
一国役人と申候而大坂表町人ニ申付扶持方とらせ、摂河知行所百姓共大坂御奉行所江罷出候節、国役之者召連罷出取扱仕候由、此方ニ而も大坂日野屋庄左衛門与申もの申付候、猶於淀委細御聞合可被成候
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一淀川通舟之事、川中ゟ御城之方江者船寄させ不申旧例ニ而御座候由、依之小橋下常往来之間ゟ納所之方ハ無構、何レ之間ニ而も通し申候、干水之節ハ納所之方浅く成候付、船年寄共相願候得ハ、遂吟味常往来之方ゟ御城之方江一ト間差免申候、其上ニ而も願候得ハ三之間迄者免し来候、洪水之節ハ
画像 77
何レ之間ニ而も勝手次第通候由
但、願候而も一両日吟味之上申付候事
嶋崎御露地
一新御座敷 弐拾畳敷
小座敷 二間
廊下 二筋
勝手座敷 一間
臺所
一水車茶屋
御座敷 拾畳敷
(改頁)
別ニ囲有 山崎利休写之由
川表座敷
達磨堂 八畳敷
臺所
勝手 壱間
一丸堂 弐畳敷
一敷之御茶屋 四畳敷
一桜之御茶屋 三畳敷程只今畳無之候
一紅葉之御茶屋 六畳程
一数寄屋 山崎利休写之由
勝手座敷有
一雁木 川表ゟ船着
一馬場 一ヶ所
何レ之間ニ而も勝手次第通候由
但、願候而も一両日吟味之上申付候事
嶋崎御露地
一新御座敷 弐拾畳敷
小座敷 二間
廊下 二筋
勝手座敷 一間
臺所
一水車茶屋
御座敷 拾畳敷
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別ニ囲有 山崎利休写之由
川表座敷
達磨堂 八畳敷
臺所
勝手 壱間
一丸堂 弐畳敷
一敷之御茶屋 四畳敷
一桜之御茶屋 三畳敷程只今畳無之候
一紅葉之御茶屋 六畳程
一数寄屋 山崎利休写之由
勝手座敷有
一雁木 川表ゟ船着
一馬場 一ヶ所
画像 78
一淀領国分ヶ高大概之覚
一山城国 一万九千石余
一河内國 右同断
一摂津領 七千石余
一近江領 一万四千石余
一近江領之内ニ東海道筋之方ニ六ヶ村、中仙道筋之方湖水之邊まて村方余程有之候
一京都出火之時分非番月ニ欠付人数
一番出
惣人数 弐百四人程
(改頁)
内
騎馬 十騎
徒士 八人
外科 一人
一淀領国分ヶ高大概之覚
一山城国 一万九千石余
一河内國 右同断
一摂津領 七千石余
一近江領 一万四千石余
一近江領之内ニ東海道筋之方ニ六ヶ村、中仙道筋之方湖水之邊まて村方余程有之候
一京都出火之時分非番月ニ欠付人数
一番出
惣人数 弐百四人程
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内
騎馬 十騎
徒士 八人
外科 一人
画像 79
足軽 五拾九人
鳶口持中間 弐拾人
二番出
惣人数 百八拾人程
内
騎馬 七騎
徒士 八人
外科 一人
足軽 三拾八人
鳶口持中間 弐拾人
出馬之節
惣人数 三百三人程
内
騎馬 十一騎
馬廻 拾八人
徒士 拾九人
醫師 弐人
足軽 三拾九人程
〆
右之通松平孫四郎様衆ゟ
(改頁)
被申伝候此方ニ而も右准申付置候
一御代官木村惣右衛門様御事京都御住宅、淀町之内ニ屋敷有之折々御越候、右屋敷ニ手代衆罷在候、淀ニ舟改番所有之、右之手代衆番相勤登り下り之船改被申候、以上
足軽 五拾九人
鳶口持中間 弐拾人
二番出
惣人数 百八拾人程
内
騎馬 七騎
徒士 八人
外科 一人
足軽 三拾八人
鳶口持中間 弐拾人
出馬之節
惣人数 三百三人程
内
騎馬 十一騎
馬廻 拾八人
徒士 拾九人
醫師 弐人
足軽 三拾九人程
〆
右之通松平孫四郎様衆ゟ
(改頁)
被申伝候此方ニ而も右准申付置候
一御代官木村惣右衛門様御事京都御住宅、淀町之内ニ屋敷有之折々御越候、右屋敷ニ手代衆罷在候、淀ニ舟改番所有之、右之手代衆番相勤登り下り之船改被申候、以上