発刊によせて

 関東山地を源流にして羽田沖東京湾に注ぐ多摩川が、中流で浅川を合流するところから多摩市は始まり、大栗川が平地に接するあたりから段丘に沿って東流し、これと多摩川に挟まれた平地は肥沃な耕地として市内有数の米産地でした。更に下流両川の合流する地帯は現在でも自然豊かな環境を残し、バードウォッチングの名所でもあります。
 多摩川を境にして北はなだらかな平地として関東平野に続き、軽い畑地の耕土は冬の乾季に強い北風に吹き上げられ「キタガタノアカッカゼ」と言われ、北の空が赤く染められました。冬から春先の風物詩でもありました。
 多摩川の右岸は多摩丘陵の台地の先端に当たり特に多摩市の平地との接点は高い段丘によって隔てられています。この丘陵が大栗川・乞田川の流入によって平地との交流点ともなりました。特に乞田川は市内に発し市内に終わる河川で、その流域に多くの集落を栄えさせました。古来より自然豊かな山水に囲まれた生活はのどかであったろうことが想像されます。やがて武士の起こった後は、防衛の最前線としての要所であったことも史実で明らかにされています。市内各所に史跡としてまた文書として残されています。
 昭和三十年代後半この地に世界的壮大な構想のもと、住宅都市「多摩ニュータウン」開発計画が具体化されました。これに伴い計画地内の遺跡発掘調査が実施され、古く無土器時代から人の生活の場であったことが判っています。この丘陵地に再び人工の大住宅都市が造成され、多数の新市民を迎えましたが、高層建築の立ち並ぶ現状からはその昔を知る由もないと思います。既刊の『多摩町誌』では概要は把握できるものの、学術的、専門的見地から総合的に記述するまでには至っていませんでした。
 この度、多摩市史編さん十年計画によって『多摩市史 通史編一』の完結を見たことは誠に意義深く、また多くの学識者のご努力によって後世に伝えるに相応しい価値あるものと信じます。一人でも多くの市民の皆さんに活用されることを願って止みません。
 ここに至るまでの長い道程の中で、鋭意資料収集から執筆完成までのご努力と資料提供などご協力頂いた皆様に感謝いたします。
 
 平成九年三月
多摩市史編さん委員会会長 新倉勇造