多摩丘陵の特徴

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多摩丘陵は、北縁を多摩川とその支流の浅川によって、南縁を境川によって画される、なだらかな起伏の丘陵地である(図1―1)。丘陵の延長はおよそ四〇キロメートル、幅は五~一〇キロメートルの広がりをもっている。丘陵の西端は、高尾山東方の八王子市館町付近から始まり、川崎市登戸付近で南に折れ曲がって横浜市西部に至る。ちょうど、ブーメランのような格好をしているのが、この丘陵の平面的な特徴である。いっぽう、多摩丘陵の垂直的な特徴は、丘陵の高度分布に現れている。

図1―1 多摩市周辺の地形区分
1;山地 2;丘陵地 3;下末吉面 4;武蔵野面 5;立川面 6;沖積面(3~5は台地・段丘)
貝塚爽平「東京湾沿岸部の地形地質」『基礎工』22 1994年をもとに作成。

 多摩丘陵の丘頂高度(尾根高度)は、八王子市と町田市の境をなす七国峠付近で二二〇~二三〇メートルを示してもっとも高い。丘頂高度はここから東に向かって低下し、多摩市南野で一五〇メートル、川崎市西生田付近で一三〇メートル、さらに丘陵南方の横浜市西部で六〇~八〇メートルを示して最低となる。多摩丘陵の丘頂高度は、おおまかにみればこのように西から東、または南へ低下するが、高度の低下は整然と生じているのではない。高度低下は、町田と登戸を結ぶ丘陵屈曲部付近の段差によって断ち切られているのである。多摩丘陵は、この段差を境に多摩Ⅰ面と呼ばれる西部と、多摩Ⅱ面と呼ばれる東部とに分けられる。市域を抱く多摩丘陵西部の地形的特徴は、丘陵背面(実在する平坦面(へいたんめん)ではなく、高さのそろった丘陵の頂上をつなげて想定される平らな面)の高度が一三〇~二三〇メートルで、丘陵内に発達する大栗川・乞田川・三沢川などの河川が、ほぼ南西から北東に向かって流下することである。これに対して丘陵東部は、背面高度が六〇~一〇〇メートルで、丘陵内に発達する河川は、おおむね北西から南東に流れ下るのが特徴となっている。多摩丘陵の西部と東部とで、このように異なった背面が存在するのは、丘陵を構成する地層の堆積(たいせき)時期が異なるからである。
 多摩丘陵の地質は、おもに前期更新世に堆積した八つの地層からなっている(表1―1)。これらの地層は、およそ一〇〇万年前の海湾に堆積した地層(海成層)で、一括して上総層群と呼ばれる。上総層群の堆積物は礫(れき)、砂、泥などからなり、これら全体の厚さ(層厚)は、丘陵北縁部で約七〇〇メートルを示す。上総層群は、多摩丘陵西部では御殿峠礫層に、東部ではオシ沼砂礫層(されきそう)に切られている。御殿峠礫層は、浅川・大栗川・乞田川・境川に挟まれる丘陵の尾根付近に分布する(図1―2)、層厚一〇~一五メートルの円礫層である。この地層の礫は風化の程度が著しく、多摩川の河床にはほとんどみられない種類の礫(せん緑岩礫、緑色凝灰岩礫)も混じっている。このため御殿峠礫層は、今からおよそ五〇万年前に、古相模川のつくった扇状地の堆積物であったと推測されている。先述した多摩Ⅰ面は、御殿峠礫層の当時の堆積面を指している。いっぽう、オシ沼砂礫層は、鶴見川以北の多摩丘陵東部に分布する、層厚一〇メートルの海成層である。この砂礫層は、約三〇万年前に海岸線に堆積した地層で、この堆積面が多摩Ⅱ面である。多摩丘陵西部と東部の堆積面をなす御殿峠礫層やオシ沼砂礫層は、粘土化の進んだ褐色の火山砕屑物(さいせつぶつ)(火山灰、火山礫などの火山噴出物)からなる古期ローム層や、新期ローム層などといった風成層(風によって運搬、堆積した堆積物の層)にそれぞれ覆われている。

表1―1 多摩丘陵西部の地質層序と地質時代


図1―2 多摩丘陵西部の地質図
関東ローム層は未記入。岡「多摩丘陵の地形・地質と土壌・植生」を編集。

 多摩丘陵内の河川沿いには、下末吉ローム層や新期ローム層などに覆われた、段丘堆積物(砂礫層)が観察されることがある。この砂礫層は、下末吉層や小原台砂礫層、新期段丘堆積物などに相当する。これら段丘堆積物の堆積面は、それぞれ下末吉面、小原台面、武蔵野面、立川面などと呼ばれ、多摩丘陵の周辺ではしばしば広い台地をつくっている。いっぽう、丘陵内に発達する谷(侵食谷)の谷底は、沖積(ちゅうせき)層と呼ばれる軟弱な地層で構成されている。沖積層は、火山砕屑物に覆われないもっとも新しい地質時代に堆積した地層である。