連光寺層と稲城層

22 ~ 24
連光寺層と稲城層(表1―1)は、河口ないしは三角州といった、陸の影響の強い環境下で堆積した(菊地一九八四)。
 連光寺層は稲城層の下位に発達する礫、泥、砂の互層からなる層厚一一〇メートル(関東第四紀研究会一九七〇)の地層で、日野市高幡から町田市野津田町にかけて分布する(図1―2)。走向はN30°E~N45°Eを示し、南東におよそ三度傾斜している。礫―泥―砂の堆積サイクルは、少なくとも四サイクル認められており、砂質部や泥質部からは河口性や内湾性の貝化石を多産する。また、泥質部には第二星川(略称H2)と呼称される、白色のガラス質火山灰層を挟在する。市域で得られたボーリング資料によると、東寺方の市立総合体育館(図1―10・8)では、武蔵野礫層の下位に砂、泥、礫の互層となって発達するのが認められる。砂質部は、厚さ六メートル程度で、暗青灰色または黄灰色の細砂からなる。泥質部は、貝殻片を少量混入する厚さ四~五メートル、N値五〇以上(土の硬軟、締まり具合を知る指標で、値が大きいほど地盤が硬く締まっていることを示す。)の泥岩であり、暗青灰色を呈する。また、礫質部は厚さ二メートル以上を示し、礫径三~三〇ミリメートル程度の亜円礫を主体とする。いっぽう、西落合小学校(図1―10・2)では、未固結の凝灰質粘土層の下位に砂、泥、シルトの互層となって発達している。砂質部は、厚さ五メートルの褐灰色ないし黄褐灰色の細砂からなり、N値は一〇前後を示しルーズである。これに対して、下位の泥質部は粘土層とシルト層からなり、N値五〇以上を示し比較的固結が進んでいる。

図1―10 ボーリングによる市域のおもな地質柱状図
1~11はボーリング地点の番号(各地点の位置は図1―3を参照)。A;沖積層 K;関東ローム層 M;武蔵野礫層 G;御殿峠礫層 I;稲城層 R;連光寺層

 連光寺層の上位に発達する稲城層は、層厚およそ一九〇メートルの黄灰色ないし褐灰色を呈する砂層からなっている(図1―11)。本層の大部分はとうたの良い砂層であるが、ときどき凝灰質の砂と先第三紀層由来の小円礫を含む(藤本・寿円・羽鳥一九六五)ことがある。稲城層の分布は、市域の東部から稲城市域にかけて広がり、走向N40°E~N50°Eを示して南東におよそ三度傾斜する。稲城層中に認められる火砕質鍵層(表1―1)としては、ともに白~灰白色のガラス質火山灰層からなる古沢(Fr)と夕木(Yu)が知られている。市域で収集したボーリング資料から例を挙げると、市東部の聖ケ丘中学校(図1―10・5)では、黄褐色ないし褐灰色の細砂層となって堆積している。N値は連光寺層の泥質部に比べるとやや小さいものの、三〇~五〇を示し比較的良く締まっている。また、聖ケ丘小学校(図1―10・3)では、御殿峠礫層の下位に細砂~中砂の砂層として発達する。この砂層の上部は、酸化帯を挟在する黄灰色の細砂層であるが、下部は中砂を主体とし粗砂が混入する。

図1―11 御殿峠礫層の下位に発達する稲城層
(多摩中央病院脇)