多摩川右岸の氾濫低地の沖積層は、ボーリング資料から次のような特徴を認めることができる。関戸四丁目(図1―10・11)では、連光寺層の砂質部を切って、標高約四二メートルを下限とする層厚およそ七メートルの砂礫層となっている。砂礫層は下部が礫径五~五〇ミリメートルの円礫、中部が一〇〇ミリメートル以上の円礫を点在する。上部には、厚さ〇・三メートルの礫混じりの粘土が堆積し表土に覆われる。また、市立健康センター(図1―10・10)でも、連光寺層の砂質部を切って、標高約四三メートルを下限とする層厚六メートルの砂礫層となっている。礫は径五~四〇ミリメートルの亜円礫を主体とし、最大一二〇ミリメートルを含む。この砂礫層の上位には、層厚一メートルのシルト混じり細砂層、層厚〇・二メートルの腐植質シルト層が順に重なる。大栗川右岸に位置する桜ケ丘記念病院の北東(図1―10・9)では、標高四三メートルを下限とする層厚約三メートルの砂礫層が連光寺層を切って発達する。礫は径三~三〇ミリメートルの亜円礫を主体とし、最大五〇〇ミリメートルの礫を含む。いっぽう、現在発達中の沖積層の特徴は、多摩川の河床で観察することができる。一ノ宮北東の流路沿いで礫径(ここでいう礫径は、図1―16に示した礫の長径・中径・短径の積の三乗根)を調べてみると、平均で五五ミリメートル、最大で二五〇ミリメートルを示した。また、礫種は圧倒的に砂岩や硬砂岩が多いが、けつ岩・角礫岩・チャート・白色けい岩・粘板岩・ホルンフェルス・石英せん緑岩・石灰岩・緑色けい質岩など(寿円一九六五)も含まれる。この河床表面では、礫が水流の影響を受けてかわら状に積み重なる構造(覆瓦(ふくが)構造)が観察された(図1―17)。このような構造が観察されるのは、河床礫のおよそ六割が円盤状もしくは小判状をしたへん平な礫であることによる。
図1―16 多摩川河床礫の粒径分布
一ノ宮北東の多摩川河床(調査地点は図1―3を参照)で粒径5mm以上の礫を対象に分析。
図1―17 多摩川流路沿いの礫に発達した覆瓦構造
(右手が下流)
谷底平野の沖積層は、大栗川右岸の殿田橋付近で連光寺層の泥質部を切って、標高五八メートルより上位に発達している。最下部は層厚〇・六メートルの茶褐色を呈する粘土層からなり、その上位に腐植を混入する層厚二メートルの暗褐色のシルト層が堆積する。これらの堆積物のN値は、粘土層が九、シルト層が二を示し、極めて軟弱ということができる。また、和田中学校では、標高五九メートルを下限とする層厚〇・三メートルの礫層が、連光寺層の泥質部を切って発達する。礫層は、中粒砂をマトリックスとする礫径五~二〇ミリメートルの亜角礫からなる。この礫層の上位には、層厚二メートルのシルト層が堆積している。