段丘形成から現在まで

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火山噴出物の降下が行われている最中、関東地方の隆起運動が活発化しはじめた。また、気候が寒冷化しはじめ、地球上で氷河が拡大するようになった。これらによって古東京湾は縮小を始め、消滅することになったのである(図1―19)。古東京湾が小さい変動を伴って退いていく過程で、大栗川や乞田川沿いの高位段丘が形成された。段丘の形成は、およそ六万年前のことと推定される。段丘上には、多摩ローム層を堆積させた箱根火山が引き続いて活動していたため、火山噴出物が降下した。海退が頂点に達した今からおよそ二万年前(最終氷期最寒冷期)には、海面は現在より約一二〇~一四〇メートルも低下していた(図1―20)。この時期の年平均気温(摂氏)は、最大で現在より七~八度も低かったと考えられている。海面低下に伴って、多摩川は流路を東京湾の海底まで延長し、谷を刻んだ。市域の低位段丘は、このような時期に形成されたのであろう。この時期の火山活動の主体は、箱根火山から富士火山へ移っていた。このため、立川ローム層によって代表される富士火山の噴出物は、武蔵野ローム層の上位に重なった。

図1―20 立川ローム堆積以降の環境変遷
貝塚『東京の自然史』から編集。

 海面が最も低下した二万年前以降から、今度は海面は急速に上昇を始めた。この急速な海面上昇に伴って、諸河川に刻まれた谷は埋め立てられていった。この時期の堆積物が、沖積層である。市域の河川沿いや多摩川の河道沿いの沖積層は、およそ二万年前以降に堆積を始めたものである。この時期以降の気候環境は(図1―20)、ごくおおまかにみると、海面がもっとも低下していた最終氷期が極寒ないし寒冷、その後海面の上昇に伴って漸暖→温暖→減暖と変化してきた。今からおよそ一万~八〇〇〇年前の漸暖な時期は、年平均気温で今より三度ほど寒く、八〇〇〇~四〇〇〇年ほど前の温暖期には、二~三度暖かかったと考えられている。温暖期の海面は、今より数メートル高かったと考えられ、海は内陸まで深く浸入していた(縄文海進)。温暖期以降も小さい海進や海退が起こったが、海面はおよそ一五〇〇年前ころからは大きく変動することなく現在に至っている。
 
参考文献
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