二酸化窒素

96 ~ 98
窒素酸化物の中では二酸化窒素について昭和五十六年(一九八一)からの記録が報告されている。二酸化窒素はザルツマン法によって自動測定器で観測されている。昭和五十六年六月十八日から六十二年二月十日まで継続的に計一二回観測された結果を示す(図1―47、48)。実線で示したP―1地点(新大栗橋交差点)の値は年による変動が大きい。その他の地点の観測値は昭和六十年(一九八五)八月、昭和六十一年八月の値が若干小さいが、全体としては年を追って漸増する傾向にある。

図1―47 多摩市の二酸化窒素の濃度(昭和56(1981)~62(1987)年)


図1―48 多摩市の二酸化窒素濃度の分布(昭和61年8月)

 二酸化窒素の測定については、自動測定器によるもののほかに、フィルターバッヂを使用した簡易測定が昭和六十年から昭和六十二年の間に計八回実施され、市内三九地点における濃度分布が明らかにされている(図1―49)。図1―49は昭和六十一年度の四季別の二酸化窒素の濃度分布を示している。春夏よりも、冬秋に二酸化窒素濃度は高くなり、地域差も明らかとなる。連光寺近くの都道一三五号線や主要地方道一八号線の町田市に近い南野一丁目付近では二酸化窒素濃度が高く、逆に市内南西部の鶴牧五丁目や、市西部の府中カントリークラブの周辺では二酸化窒素濃度が低い。

図1―49 多摩市内の二酸化窒素濃度の分布(多摩市1987「多摩市内大気質調査報告書」より)

 二酸化窒素の環境基準は一時間値の一日平均が〇・〇四ppmから〇・〇六ppmまでのゾーン、またはそれ以下であることと定められている。昭和五十二年(一九七七)までは基準達成率は一三・一から四四・七パーセントと、きわめて低かったが、昭和五十三年(一九七八)以後は一〇〇パーセント達成している。ただし昭和六十一年度には一部達成しないところがあった。