浮遊粒子状物質

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浮遊粒子状物質については昭和五十六年から昭和六十二年までの観測記録がある。浮遊粒子はデジタル粉じん計に、光散乱法を用いて測定した結果が記録される。図1―51からは地点間の差異は認め難いがP―3(東電落合変電所)地点が他の地点よりも浮遊粒子状物質が少ない傾向にある。昭和五十六年六月から昭和六十一年八月までは浮遊粒子状物質の量に大きな変化はみられなかったが、昭和六十一年十一月以来の浮遊粒子状物質の量は急に増加した。浮遊粒子状物質が増加し、観測地点間に差が生じた昭和六十一年十一月十三日から同月十九日の分布図によれば、浮遊粒子状物質の量はまさに東高西低で、東へ行くほど高く、西へ行くほど低くなる(図1―52)。

図1―51 多摩市の浮遊粒子状物質の量(昭和56(1981)~62年(1987))


図1―52 多摩市の浮遊粒子状物質の分布(昭和61年11月)単位:mg/m3

 浮遊粒子状物質の環境基準は一時間値の一日平均値が〇・一〇mg/m3以下であり、かつ、一時間値が〇・二〇mg/m3以下であることである。多摩市での浮遊粒子状物質の量は多く、昭和五十年から昭和五十四年の間では環境基準達成率は七一パーセントから八七パーセントであったが、昭和五十五年から昭和五十六年には〇パーセントとなっている。昭和六十一年から昭和六十二年にかけても、多くの地点で環境基準を達成することができず、特に秋の調査では全地点環境基準にまで至らなかった。