景観の変化と植生

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多摩市は多摩丘陵のほぼ中央部に位置し、丘陵を門析して流れる多摩川の支流大栗川下流部と、乞田川の流域、それに本流多摩川の氾濫低地を市域としている。
 丘陵部は、かつては雑木林がそのほとんどを占め、尾根筋にはアカマツが並び、ところどころ畑や草原があり、幾筋もの谷戸には水田が作られ、谷戸奥には杉林、池などがあり、社寺の裏にはこんもりとした森があり、農家のまわりには屋敷林や竹林があって、農業を主体とした田園風景が広がっていた。広々とした川沿いの沖積低地や多摩川の氾濫低地はそのほとんどが水田や畑として開墾されていた。
 多摩川の河川敷は砂利や石によって占められ、白い河原が広がっていた。支流の合流する付近にはツルヨシやオギの群生する景観があった。
 昭和四十年代から始まった大規模なニュータウン開発は、多摩市のほぼ全域にわたって田園的景観から都市的景観へと大きな変容をもたらし、かつての面影を見いだすのは難しい状態となっている。
 このような環境の変化は、当然のことながら植生にも大きな変化をもたらしていることはいうまでもない。たとえば丘陵部は造成によって地形ごと改変された部分が多いことから、シイ・カシ林、雑木林、スギ・ヒノキ植林などの多くが激減し、谷戸の水田や溜め池、湿地などはほとんどが消滅した。沖積低地の水田や畑も多くは消滅し、河川沿いのマダケ林や、シラカシ・ケヤキ屋敷林、かしぐねなども激減した。多摩川の河川敷も礫の多い環境から泥土の堆積した環境に代わり、オオブタクサやアレチウリが繁茂する河原となり、カワラノギクやカワラニガナ、カワラハハコ、カワラサイコといった河原特有の植物の生育環境もほとんど消滅した。
 それに代わって都市的な基盤整備が進行し、道路の新設、拡幅、河川の改修整備、鉄道の新設、駅周辺の整備、団地造成、公園施設、文化的施設などが充実したことにともなって、植栽による緑の空間が飛躍的に増大した。同時に帰化植物も数量ともに激増している。