移動の手段

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シダ植物は微細な胞子を空中に飛散させ、風によって途方もない遠方まで子孫を移動させることができ、湿潤な生育適地が与えられれば発芽し成長を遂げることが可能となる。同様にラン科植物も微細な種子を風に乗せて移動させ、地中に植物体の発芽に必要な菌類が存在すればその地に根を下ろすことができる。このような散布形式を風散布という。種子散布を風に頼る植物には、このほかカエデ科、カバノキ科、マツ科、ユリ科、ヤマノイモ科などのように種子に翼を持つものや、キク科のタンポポやノゲシ、キンポウゲ科のセンニンソウ、ガガイモ科、イネ科のススキやオギ、アシなど羽毛状の付属物を持つものなどがあり、きわめて長距離を移動させることができる。
 道端や河原などに多いコセンダングサやアメリカセンダングサなどは、種子に逆刺をもち、人間の衣服や動物の体に付着して種子を移動散布する。このような散布形式を動物散布という。とくに鳥が羽毛などに付着させて運ぶ場合にはかなり長距離の移動が可能になる。動物散布型にはこのほかメナモミなどのように粘液で付着するものもある。また鳥や動物に食べられ、排泄されることによって種子の移動をする植物も多い。ニシキギ、ネズミモチ、ナンテン、ガマズミなど、果実は多くの場合鮮やかな色で動物を誘い、食べてもらうことによって種子散布の目的を果たす。ヤドリギは種子がガムのようにねばる粘液につつまれ鳥のくちばしや排泄物を通して他の木の枝に付着し発芽する。
 クヌギやコナラなど堅い殼をもった果実は、重力による落下しか移動手段を持たない。このような散布型を重力散布という。しかし斜面であれば転がることによって移動距離を伸ばし、雨水や土砂の流れに乗って移動することもあり、また鳥やリスのように貯蔵習性のある動物によって運ばれることもある。またオニグルミのように重力で落下するものの川の流れに乗って移動するもの、熱帯の島に生えるヤシ科の植物のように海流に乗って移動するといった水散布型のものもある。身近ではカントウヨメナのような水田や小川の縁に生育し、こぼれた種子は水の流れに乗って分布を広げている。風変わりな散布型としてはツリフネソウやカタバミ、スミレ、ゲンノショウコなどのようにバネ仕掛けで種子を飛散させるものがある。これを機械散布または自力散布型という。なかでもスミレは種子にエライオソームと呼ばれる、アリなどを誘引する芳香性の脂肪酸などが含まれている付属体がついていて、果実が裂開して種子が飛散し地面に落下すると、アリが短時間の間に巣に運ぶことによって思わぬ場所まで移動が可能となる。このような方式をアリ散布という。ウマノスズクサ科のカンアオイ類、ケシ科のムラサキケマン、ユリ科のカタクリなども同様である。
 植物の移動手段つまり散布型によって植物の分布速度は大きな影響を受ける。たとえばタマノカンアオイはアリ散布型であるため、分布速度はいちじるしく遅く、しかも川などアリが越えることの不可能な自然的要因によって強く規制を受ける。もしアリの存在を無視したとして、タマノカンアオイは一年に一~二センチメートルの茎を伸ばし、落ち葉に埋もれるようにして花をつける。やがて成熟して種子を株の根元に落とすので、移動は一年に約一センチメートルから二センチメートルしか進まない。もしアリが種子を一メートル運んだとしても、種子が発芽して開花結実するのに一〇年はかかるから、一〇年に一メートル、一万年に一キロメートルしか進めない計算になる。また仮に大きな河川があればそれより先に分布を広げることは難しい。しかし、逆に水流に乗ったとすればもっと早くなろう。そうと仮定しても、タマノカンアオイの分布速度はいちじるしく遅い。一方、生育立地は御殿峠礫層あるいはそれに類する河成層の上に乗る多摩ローム層で、洪積世中期のリス氷期(約二四〇~一五〇万年前)に形成された地層であり、その上に分布を広げていったものと推定されている。タマノカンアオイと似た種類としては伊豆半島に分布するアマギカンアオイと、伊豆須崎に分布するシモダカンアオイが知られているが、これらを比較検討した結果、より原始的なシモダカンアオイから、アマギカンアオイとタマノカンアオイが分化したものと推定している。さらにこれら一連の祖先型は、フォッサマグナ成立による分布地域の切断によるものとの説が提唱されている。いずれにしてもアリを通して、タマノカンアオイと数百万年にわたる多摩丘陵の生成とを関連づけて推論することの意義は大きい。
 あかまんまという方言でなじみ深いイヌタデをはじめ、ミチヤナギ、イヌビユ、ザクロソウ、スベリヒユ、エノキグサ、イヌホオズキ、トキンソウ、タカサブロウ、アキノノゲシ、メナモミ、イヌビエ、ニワホコリ、カゼクサ、オヒシバ、エノコログサ、キンエノコロ、カヤツリグサなどは、農村地域にはごく普通の雑草であるが、人為的干渉の及ばない深山ではまったくその姿を見ることはない。これらの雑草は水田まわりに特徴的に出現する植物であることから、有史以前イネに随伴して侵入したものと考えられている。またヒガンバナも畑や水田のふち、人家や墓地の周辺などに多く、三倍体で種子ができない。このようなことから、稲作以前に大陸から移入したものと考えられている。有毒植物として知られているが、よく水で晒(さら)せば澱粉(でんぷん)は食用になる。このような例はサトイモ科のマムシグサ類、ソテツ科のソテツが知られている。以上のような植物を史前帰化植物とする説がある。
 このほか、スイバ、サナエタデ、コアカザ、ミミナグサ、ノミノフスマ、ハコベ、タガラシ、ナズナ、タネツケバナ、ミヤコグサ、カタバミ、トウダイグサ、チドメグサ、キュウリグサ、ホトケノザ、ムラサキサギゴケ、ヤエムグラ、ハハコグサ、キツネアザミ、ノゲシ、スズメノテッポウ、スズメノカタビラ、カラスムギ、カニツリグサなど農地にあって秋に芽生え、冬を越して初夏には結実する越年草または二年草の雑草の多くは、もともと低温の気候条件下で生育していた植物で、日本の秋から春までの気候に適応して繁殖した旧帰化植物と考えられている。
 これに対し、江戸時代末期から現在にかけて外国から入ってきた植物を帰化植物または新帰化植物と呼んでいる。
 帰化植物とは、他国から人為的に持ち込まれ野生化した植物をいい、無意識のうちに他のものに付随して侵入したものと、ある目的のもとに移入し、それが逸出して野生化したものがある。また、侵入したものの一、二年で自然消滅してしまうものや、侵入後ある限られた地域にのみ野生化し、一般に広く分布してないものなどある。
 帰化植物は本来の自然分布と異なり、人間の交流にもとづく特異な散布様式をとり、人間による環境の改変に適応しながら分布域を拡大する。多摩市においては、多摩ニュータウン開発によって急激な環境改変が起こったため、多数の帰化植物や一次帰化植物が侵入しているが、初期の基盤整備のころからみると、現在では緑化に伴って侵入してきた帰化植物や一次帰化植物が目立っている。