今から五〇年前、一人の青年が群馬県桐生市岩宿の切り通しの赤土の中から黒曜石の石器を発見した。これは考古学の常識を覆す大発見だった。それまで、日本列島最古の文化は約一万年前に始まった縄文文化であると考えられ、それ以前の赤土の堆積するころの日本列島には人類が住んでいなかったと考えられていたからである。
やがて、赤土の中に埋もれていた石器が次々に発見され、こうした遺跡が縄文時代よりも古い一万年以上も前の遺跡であり、ヨーロッパやアフリカの旧石器時代に相当する時代であることが明らかにされたのである。当初は旧大陸の旧石器文化との関連が明らかでないことなどから、慎重な用語が模索され、先土器時代とか無土器時代と呼ばれていた。
今では、旧石器時代の遺跡は全国で四〇〇〇か所とも五〇〇〇か所ともいわれ、そう珍しくなくなったが、発見されたのはたかだか五〇年前のことなのである。この決して長くない五〇年の間に、次々に旧石器時代の遺跡が発見され、日本列島に人類が登場したのが約六〇万年以上前であることが明らかにされている。五〇年前には約一万年前に始まったとされていた日本列島の歴史は一気に六〇万年も遡ることになったのである。多摩市の歴史も旧石器時代から始まり、その起源は遠く南アフリカの地で進化した人類の出現にまで繋がっている。
『多摩市史 通史編1』「第4編 原始および古代 第1章旧石器時代」 訂正文(平成15年3月 多摩市教育委員会)