図4―1 人類進化の仮説
〔図中の「オーストラロピテクス」は「アウストラロピテクス」の誤り〕
人類進化の過程を便宜的に猿人(三〇〇万年~一六〇万年前)―原人(一六〇万年~三〇万年前)―旧人(四〇万年~四万年前)―新人(四万年前~現代)の四段階に分けると、猿人段階にはアウストラロピテクスやパラントロプス、ホモ・ハビリス、原人段階にはホモ・エレクタス、旧人段階には古代型ホモ・サピエンス、新人段階にはホモ・サピエンスが相当する。現生人類であるホモ・サピエンスはH・ハビリスに始まり、古代型ホモ・サピエンス、ホモ・サピエンスへと進化したと考えられている。
ところで、アフリカで誕生した人類は、原人段階以後、アフリカ大陸から世界各地へと拡散を始める。猿人段階ではアフリカ大陸、原人段階では北緯四〇度以南の旧大陸、旧人段階では北緯五〇度以南の旧大陸に、その生活の舞台を広げる(図4―2)。
図4―2 新人の起源に関する二つのモデル
では、日本列島に人類が登場するのはいつごろなのであろうか。先述したように、旧石器時代が発見される以前は約一万年前と考えられていた。やがて一九六〇年代後半になると主に武蔵野台地を中心に旧石器時代遺跡の大規模な発掘が始まった。しかし、武蔵野台地では三万年前より古い石器群は発見されず、東北大学の芹沢長介氏らは北関東で三万年よりも古い石器を発見していたが、他の研究者の受け入れるところとはならなかった。ところが、一九七〇年代後半から一九八〇年代の前半にかけて、宮城県で三万年以上前に遡る石器群が次々に発見され、日本列島に三万年以前の旧石器時代遺跡の存在することが確実となった。そして遂に、宮城県上高森(たかもり)遺跡において約六〇万年前の地層から石器群が発見され、六〇万年前の日本列島に人類が住んでいたことが明らかにされたのである。
遠くアフリカの地を一五〇万年前に旅立った人類はようやく、六〇万年前に日本列島にたどり着いたのである。しかし、彼らがどのようなルートを経て日本列島に到着したかは、明らかになっていない。
『多摩市史 通史編1』「第4編 原始および古代 第1章旧石器時代」 訂正文(平成15年3月 多摩市教育委員会)