日本列島でも冷涼な気候と温暖な気候が繰り返されたと考えられるが、三〇万年前以前の様子は明確でない。三〇万年前以降では大きく二つの氷期のサイクルが確認されており、二七~二八万年前に冷涼な気候のピークを迎えた後、徐々に温暖化し、二二~二三万年前に温暖化のピークを迎えた後、再び冷涼化し、一五~一六万年前に冷涼化のピークを迎える。この後、気候は再び温暖化に向かい、前期旧石器時代から中期旧石器時代に移行する一二~一三万年前に温暖化のピークを迎え、さらに冷涼化に向かう。冷涼化のピークは後期旧石器時代中頃の約二万年前に起こり、その後は温暖化に向かい、現在に至っている(図4―3)。
図4―3 深海底堆積物コアの酸素同位体比変動曲線
日本列島の旧石器時代遺跡の大半は、冷涼化の進んだ三万年前以降のものである。最も冷涼な二万年前の日本列島では、北海道北部から東部にかけては草原地帯、北海道西部から中部山岳地帯には針葉樹の森が広がっていた。針葉樹の森は東北地方南部で南北に二分され、北部は落葉針葉樹林、南部は常緑針葉樹林が分布していた。関東地方を含む中部山岳地帯より西は落葉広葉樹林が広がっていたとされている。
多摩市をはじめとする多摩丘陵はほぼ現在と同じ地形をし、ブナ、トチノキ、クルミなどの落葉広葉樹林が広がり、ナウマンゾウ、オオツノジカ、ニホンムカシシカ、ツキノワグマ、イノシシなどの大・中型の動物が棲息していたとされる。多摩丘陵の旧石器時代人は落葉広葉樹の森林を駆け巡り、ナウマンゾウやオオツノジカを狩っていたのであろう。落葉広葉樹林の森林は明るい森とはいえ、大木が生い茂る鬱蒼とした森であったろう。旧石器時代の人々は火災などによって作られた木の少ない草原状の空き地や、水辺の空き地を選んでキャンプをしていたのであろうか。
『多摩市史 通史編1』「第4編 原始および古代 第1章旧石器時代」 訂正文(平成15年3月 多摩市教育委員会)