図4―8 石器群の移り変り
(1~8:多摩ニュータウンNo.769第2文化層、9~13:多摩ニュータウンNo.774・775遺跡第1文化層、14~24:多摩ニュータウンNo.769第3文化層、25~28:多摩ニュータウンNo.769第4文化層、29~31:多摩ニュータウンNo.774・775遺跡第3文化層)
ナイフ形石器には幾何学的な形態をした小型のものが多くなり、直接手で扱うことができないと思われるような小型のナイフ形石器も出現する。これらの石器は着柄を前提とした石器と考える必要があろう。ナイフ形石器の一部を組合せ石器とする研究者もいる。
石器は直接手に持って用いるものと、何らかの柄を付けて用いるものとに分けて考えることができる。後期旧石器時代以後顕著になる石器の基部加工は、直接的に機能を達成する刃部加工のためとは思えず、着柄のための加工と考えられる。これがやがて、後期旧石器時代後半期に至り、石器の長軸を延長するように付けられた柄の側面に、小さな石器を組み込むように変化したことは容易に想像できる。
こうした段階を経て、平面的な形態が強調される扁平な石器が、立体的な形態を有する尖頭器へと変化したとしても不思議でない。あるいは尖頭器とナイフ形石器が一つの道具を構成するパーツとして独立して製作されたとしてもおかしくない。じかに手で握る石器、指でつまむ石器から、柄を付けて使う石器へと変化し、後半期に至って石器は単体で用いられるのでなく、複数の石器と柄が組み合わされて一体となった道具に変化したのではないだろうか。
他方、後期旧石器時代前半期から認められていた石器群の地域性はより顕著になる。こうした地域性の出現は、地域固有の自然環境に適応した結果であると同時に、集団を構成する結び付きがより強固になり、知識が伝統として集団に蓄積されるようになった結果でもあろう。
また、石器の材料として黒曜石の用いられる比率が高くなる。黒曜石は遠く信州の八ケ岳山麓から運ばれたものが大半である。後期旧石器時代の前半期から用いられるようになり、後半期になると石器の材料として圧倒的に好まれた。彼らはどのようにして黒曜石を入手したのであろうか。黒曜石の交換を想定する研究者もいる。もしそうであれば、その距離を考慮すると、常に顔と顔を合わせることの可能な集団という範疇を越えた大きな集団、あるいは集団と集団による交換を考える必要があり、組織化された集団がすでに登場していたことになろう。