これら多摩市内の縄文時代の遺跡数を時期別にみると、前期が最も多く、中期と早期がこれに次ぐ。後期では中期の約四分の一、晩期に至ってはわずか五遺跡と激減する(図4―12)。この傾向は多摩ニュータウン地域全体と同じであるが、多摩市内でも多摩川に近い既存地域だけの分布では、前期より中期がわずかに多く、早期と後期がほぼ同数でこれに次いでいる。細分時期でみると、前期の遺跡では特に後半の諸磯(もろいそ)式土器様式期の遺跡が丘陵内部のニュータウン側で急激に増加している。後期では遺跡のほとんどが前半の堀之内(ほりのうち)式土器様式期の遺跡であるが、この時期の遺跡は多摩川に面した丘陵外縁部に多く、後半の加曾利B式土器様式期になると、遺跡が丘陵内部や相模野台地に面した多摩丘陵南部にみられるようになる。
図4―12 時期別遺跡数・住居跡数
武蔵野台地では早期前半の撚糸文(よりいともん)系土器様式期や中期の遺跡が非常に多いが、前期後半の遺跡や後・晩期の遺跡はごくわずかである。これに対して、多摩ニュータウン地域の丘陵部では早期後半の条痕文(じょうこんもん)系土器様式期、前期後半の諸磯式土器様式期の遺跡が非常に多い。このように、多摩川を挟んだ両地域では時期別の遺跡数に差がある。また、多摩市の既存地域が武蔵野台地に面し、市域が多摩川から丘陵内部を含むため、両地域の側面がみられるのも、多摩市の縄文文化の特徴である。
図4―13 多摩市内の縄文時代遺跡分布と代表的遺跡
〇:遺跡時期 (●):住居跡確認時期 (□):主体時期