縄文時代を象徴する生活用具で、発生段階の草創期から、煮炊き用の深鉢形土器として登場した。草創期の土器は編籠などの形を模したものと考えられている。前期になると、これに浅鉢形土器や鉢形土器など、盛り付け用の土器、壺などの貯蔵用の土器が加わり、幾つかの形式=器形の差が現われた。物語性をもった文様が出現する中期には、深鉢形土器の中にも人体文様付土器(図4―28―3)などの特殊な文様の土器もみられ、装飾よりも特定の意味を土器に表現するようになる。また盛る器とともに、台付土器、有孔鍔付(ゆうこうつばつき)土器、注口土器、器台など多用なマツリ用土器も出現した(図4―16―5~8)。さらに火器関連用の釣手土器、埋甕炉、埋葬用の甕棺、埋甕など食物関係以外の分野に土器が用いられるようになった。後・晩期には中期以上に器種が増え、実用的になる一方、香炉形土器、異形台付土器、双口土器など祭祀用の土器が細分化し、多種多様な形式が作られた。
土器の製作は粘土の採取―こね・下地作り―ねかせ―成形―文様施文―乾燥―焼成といった数段階の工程と時間を経て行われる。町田市小山の多摩ニュータウンNo.二四八遺跡では、全国的にも非常に稀な縄文土器製作のための粘土採掘坑跡が発見されている。粘土は多摩丘陵に多い白色粘土である。しかし、この粘土採掘場で多摩丘陵全体に粘土を供給していたわけではなく、各集団ごとに流儀に合った粘土採取場所や方法がとられたであろう。現段階では縄文土器の作り手が女性であったと推測されているが、その製作場所や焼成場所などは不明である。