2 石器

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 縄文時代には用途に応じて様々な種類の石器が作られた。図4―21は多摩市内から出土した縄文時代の石器の種類、用途、機能とその変遷を示したものである。

図4―21 主な石器の種類と機能

 狩猟具には、尖頭器(石槍)と石鏃(せきぞく)がある。尖頭器は旧石器時代終末期から縄文時代草創期の無文土器、隆起線文土器、爪形文土器などに伴う時期までの石器で、早期以後ほとんど出土しない。種類には小型から大型の木葉形尖頭器と、基部に舌状の茎を作り出した有舌尖頭器とがあり、多摩市内でも多摩ニュータウンNo.二七遺跡、同No.五七遺跡、同No.三七九遺跡などから二五点ほど出土している。石鏃は矢の先端に付けたものである。弓矢の発明は土器の発明と並ぶ縄文革命の一つであり、それまでの狩猟法を大きく変化させた。草創期から出土するが、普及するのは早期の撚糸文系土器様式期である。多摩市内では早期以後の遺跡でみられ、中期の和田・百草遺跡や向ノ岡遺跡、晩期の新堂遺跡では一遺跡から五〇点以上が出土している。石鏃の形態には中茎のある有茎石鏃、中茎(なかご)がなく抉りのある凹基無茎石鏃、平基無茎石鏃、十字状の飛行機石鏃などがあり、時期とともに変化する。石材としては黒曜石やチャートが用いられた。黒曜石は原産地から「石の道」を通って各地に運ばれ、多摩市内には東京都神津島産、長野県霧ケ峰産、神奈川県箱根産の黒曜石が来ている。縄文時代にはすでに磨製石器が作られていたが、消耗品でもある石鏃は簡単に作れる打製で作られた。
 植物性食料の調理具には、ドングリ、トチなどの堅果(けんか)類の殼を割る敲石(たたきいし)と凹石(くぼみいし)、木の実その他を粉にする石皿と磨石(すりいし)があり、多摩市内の中期の遺跡から多数出土している。石皿には縁(ふち)のない扁平な石も多用された。石材には埼玉県秩父産の緑泥片岩(りょくでいへいがん)が多い。早期の撚糸文系土器様式期には、スタンプ形石器と呼ばれる特殊な石器が作られた。スタンプに似た形で、片手で握って使用されたと推測され、底面が摩滅していることから、敲石や磨石と同様な調理具と考えられている。また、早期後半の条痕文系土器様式期には、両端に抉り込みのある抉入石器が作られた。これも調理具と考えられているが、一時期に流行した特殊な石器である。
 工具としては、まず石斧類があげられる。縄文時代を通じて最も普遍的かつ大量に作られ、縄文時代を代表する石器である。このうち打製石斧(だせいせきふ)は球根類や竪穴住居の掘削や土掘りの道具で、形態には短冊形、撥(ばち)形、分銅形がある。片刃のものもあり、石材は多摩川や大栗川にみられる砂岩や頁岩である。打製石斧は前期から出現するが、中期には爆発的に増え、向ノ岡遺跡では一軒の住居跡から約三〇〇点の打製石斧が出土している。木材の伐採や加工に用いられた磨製石斧は、打製石斧に比べて出土量が少ない。縄文時代の石製工具としては他に、黒曜石やチャートなどの硬質材で作られた石錐、皮剥ぎ用の石匙、皮なめし用の掻器、石器加工具と考えられる楔形石器などがある。また、草創期の石器の一つに矢柄研磨器(やがらけんまき)と呼ばれる石器がある。矢柄を研いで真っすぐにするための砥石で、平らな面に直線的な溝が彫られている。短期間で消滅する大陸系の石器で、多摩市内では発見されていないが、大栗川流域の八王子市下柚木の多摩ニュータウンNo.一一六遺跡で一点出土している。出土例の少なさから注目されている遺物である。
 漁撈具には、漁網の錘りとしての石錘(せきすい)がある。長さ五センチほどの扁平な石の長軸の両端を打ち欠いて漁網に取り付けたもので、多摩市内では後期に出土量が増加する。紐掛け用の切り込みのある軽石製の浮子(うき)も出土している。なお、石錘がアンギンなどを編む時の編み機の錘として使われた可能性も指摘されている。
 以上が多摩市内で出土した縄文時代の生活用具である。いずれも腐らずに残るものであり、貝塚や低湿地の遺跡から縫い針、釣針、鈷などの骨角器、編籠、敷物類、弓矢、石斧の柄、木製容器、丸木舟、木槌などの木器や漆器、竹器をはじめ、様々な生活用具が出土しており、狩猟、漁撈、採集の生活に必要なものはほぼ揃っている。