この体内時計はつい最近まで我々も身につけていた物であり、縄文時代の伝統を受け継ぐものといえよう。こうした四季の秩序・管理作業が縄文人にあったからこそ、晩期以降の水田耕作と弥生文化の受容が比較的スムーズに成されたのである。
こうした縄文人の年間労働サイクルをモデル化したのが、縄文カレンダーである(図4―22)。各地の遺跡から出土した動植物遺体の研究や民俗事例などから、縄文人の多種多用な四季の活動を模式化したもので、さらに現在では土器作りや住居構築などのシーズン性も提唱されている。季節ごとの労働とともにそれにまつわる儀式やマツリなど、すべての生活活動が歳時記としてカレンダーに組み込まれていった。縄文時代中期以後、儀式やマツリに使われる道具類が発達するのは年間の生活行事のサイクルが完成されたからとされている。
図4―22 縄文カレンダー(小林達雄氏原図)