1 縄文カレンダー(四季と丘陵の暮らし)

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 縄文人は四季折々に仕事があり、多忙である。しかし、その忙しさは決して従来我々が往々にして描いていた、その日暮らしで山河に食料を探し求め彷徨い歩く縄文人の姿ではない。四季の変化とともに、縄文人の食料資源である動植物等の資源も変化する。その自然の変化にあわせ、一年、一日の生活リズムが決まり、計画的に生活していたのである。この生活リズムは旧石器時代以来の時の流れの中で培われたものであり、多摩丘陵の縄文人たちもまた同様である。彼らは時の流れを体内時計、体内カレンダーとして歴史と伝統の流れの中で体得していた。それと同時に最近の研究で明らかにされているように、秋田県大湯の環状列石や栃木県寺野東遺跡などにみられる、冬至をはじめとする太陽の運行との関係など、縄文人自身も時を知る術を心得ていたと思われる。
 この体内時計はつい最近まで我々も身につけていた物であり、縄文時代の伝統を受け継ぐものといえよう。こうした四季の秩序・管理作業が縄文人にあったからこそ、晩期以降の水田耕作と弥生文化の受容が比較的スムーズに成されたのである。
 こうした縄文人の年間労働サイクルをモデル化したのが、縄文カレンダーである(図4―22)。各地の遺跡から出土した動植物遺体の研究や民俗事例などから、縄文人の多種多用な四季の活動を模式化したもので、さらに現在では土器作りや住居構築などのシーズン性も提唱されている。季節ごとの労働とともにそれにまつわる儀式やマツリなど、すべての生活活動が歳時記としてカレンダーに組み込まれていった。縄文時代中期以後、儀式やマツリに使われる道具類が発達するのは年間の生活行事のサイクルが完成されたからとされている。

図4―22 縄文カレンダー(小林達雄氏原図)