山野に自生する木の実や果実、根菜類などの植物性食料は大量かつ容易に採集できるため、動物性食料以上に重要なエネルギー源であった。とりわけ、クルミ、クリ、ドングリなどの堅果類は長期保存が可能であり、保存食料としても重要であった。つい最近までそうであったが、多摩丘陵に生きる人々は基本的に山の民であり、植物性食料を熟知していた。低湿地などの遺跡から出土した食用植物遺体は約五〇種類に及ぶ。しかし、食用植物は遺存しにくく、実際にはこの一〇倍の五〇〇種近い植物が採集されていたと推測されている。
堅果類は晩秋に多量に採集され、縄文人の主要な植物食であった。クルミ、クリ、トチノミ、コナラ、ミズナラ、クヌギ、シラカシなどのドングリ類があったが、ドングリやトチノミはアク抜きが必要で、種類によって灰あわせ、水さらし、加熱などの処理が行われた。この堅果類の貯蔵に用いられたのが、地下に穴を掘った貯蔵穴(ちょぞうけつ)で、和田の和田西遺跡では低地にある中期後半の土坑、和田・百草遺跡では中期、向ノ岡遺跡では後期の袋状土坑が検出されている。また、クリはアク抜きが不要であり、縄文人が好んで食べた木の実で、集落の周辺には維持管理されたクリ林が作られていたと想像される。木の実以外にも、春のゼンマイ、ワラビ、タラノメ、カタクリ、ウド、ノビル、秋のユリネ、ヤマイモ、ノブドウ、ヤマモモ、アケビ、キノコなども、重要な食料であったであろう。
こうした縄文時代の植物と景観を、落合の「縄文の村」に観ることができる。多摩ニュータウンNo.五七遺跡を復元し、当時の植物相をよみがえらせたこの遺跡庭園は、集落とそれを取り巻く縄文の森で繰り広げられた縄文カレンダーを我々に体感させてくれる。