多摩地域の漁撈の対象として、多摩川や大栗川、乞田川、あるいは谷戸川と呼ばれる谷間の小流、岩ノ入池などの沼地などに棲息するアユ、ウグイ、コイ、フナ、ハヤ、ウナギ、ドジョウ、ナマズ、マス、サケ、沢蟹、カメ、スッポン、カエルなどが考えられる。特に、多摩市域は近年までアユの名漁場として有名であった。また、多摩川のサケ漁は草創期から盛んで、あきる野市前田耕地遺跡では草創期の住居跡から多量のサケの骨が出土している。サケ・マスは季節になると多量に捕獲でき、薫製にして長期保存も可能であり、堅果類と並ぶ貴重な食料源であった。
他方、多摩の縄文人が海洋性の水産資源を利用しなかったわけではない。乞田の多摩ニュータウンNo.四五〇遺跡から、イワシの背骨を施文具として押しつけた「魚骨押捺文(おうなつもん)」土器が出土している。前期前半の羽状縄文系土器様式に属するものであろうが、施文具、施文方法など土器文様としても、全国的に珍しいものである。イワシは現在の多摩市近辺では捕れないが、当時は縄文海進期にあたり、多摩市からわずか一〇キロメートルほど下流まで海が来ていた。海沿いのムラから魚を入手したのか、自ら捕獲したのか、さてまた土器自身を入手したのか、いずれにしても、類例の少ない貴重な資料である。魚類以外に、貝類も縄文人の貴重な食料であった。多摩丘陵の淡水域の貝にはタニシ、カラスガイ、シジミなどがある。多摩丘陵の縄文人もこれらの貝類を食べたであろうが、量的に少なかったのか、東京湾沿岸のような大きな貝塚は形成されていない。
図4―25 多摩ニュータウンNo.450遺跡出土魚骨押捺文土器(2/3)
(山口慶一、1985より)