弥生時代の稲作技術は水田や水路の造成から収穫、貯蔵、脱穀までの一連の技術を有していた。これらの諸技術に必要な道具も揃っており、木工には鉄製工具も用いられたが、開墾その他の農具は刃先まで木製であったため、土地の軟らかい低湿地周辺しか農地として利用できなかった。水田には矢板で護岸された水路が巡らされたが、その主要な機能は水田への灌漑よりも水分過多の湿田からの排水にあった。湿田は生産性が低く、生産性の高い半湿田(半乾田)、さらに乾田の開発が可能になったのは、鉄製の刃先を付けた農具が普及した古墳時代になってからのことである。水田一枚ごとの面積も四〇平方メートルから五〇平方メートルの小規模なものが多く、自然地形を大きく改変せず、最小限の労力で水田を造成したことを物語っている。