弥生時代には鉄器や青銅器などの金属器が使用された。このうち、鉄器は工具類など実用的機能を果たすものが中心であったが、普及度は低く、大量に使用、製作されたのは青銅器である。
弥生時代の青銅器には、銅剣、銅矛(どうほこ)、銅戈(どうか)などの武器と銅鐸がある。このうち、朝鮮の馬鐸(ばたく)をモデルとして我が国独自に製作されたのは銅鐸である。銅鐸は前期末から後期にかけて次第に大型化し、装飾性過多となり、音を聞く楽器から音のでない見るだけの祭祀用具になっていった。
武器類はもともと朝鮮製の鋭利で実用的なものが輸入されていたが、弥生時代前期末以後、我が国で製作されるようになった。国産武器は時とともに大型化し、鋭利さと実用性を失って、質も粗悪化して銅鐸と同様に祭祀用具化した。これら青銅器の分布には差があり、銅剣と銅矛を主とする九州圏と出雲圏、平形銅剣を主とする四国圏、近畿式銅鐸を主とする畿内圏、駿東式銅鐸を主とする東海圏などの文化圏が形成された。これらは青銅器による文化圏であり、関東地方や他の多くの地方のように青銅器がほとんど出土しない地域が大部分であった。この間、武器として最も重要な役割を果たしたのは石鏃であり、弥生時代後期に最大化した石鏃とこの時期に瀬戸内沿岸部に集中する高地性集落の存在は、『魏志倭人伝』に記された「倭国大乱」を裏付けるものとされている。