第二節 多摩の弥生文化

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 弥生時代中期に関東地方に伝わった弥生文化は、河川沿いに内陸部に浸透し、横浜市北部の鶴見川流域には大集落や方形周溝墓による大規模な墓地が形成された。しかし、多摩丘陵で発見されている弥生時代の遺跡はきわめて少ない。しかも、数少ない弥生時代遺跡も住居跡ではなく、弥生土器が数点発見されるだけの遺物散布地である。これは多摩丘陵の発掘調査地点の大部分が、多摩ニュータウン開発に関係する丘陵地帯であり、弥生時代遺跡の多い低湿地が多摩ニュータウン開発の範囲外にあることによる点にも関係するが、なによりも弥生時代の稲作技術では、多摩丘陵を水田化できなかったことが最大の理由であろう。このことは、鉄製農具と畑作技術が普及した古墳時代になると多摩丘陵に集落や墓地が形成されることと、好対照をなしている。