第三節 多摩市の古墳

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 多摩市内の古墳は多摩川に注ぐ大栗川の流域、和田・百草地区の丘陵に集中し、多摩川からは三キロメートルほど上流にあたる(図4―31)。これらの古墳の位置関係をみると、大栗川右岸には河川部との比高差約六メートルの比較的平坦面の広い台地状の丘陵がある。ここには大栗川を望む標高六七メートルから七〇メートルの丘陵先端部に塚原(つかっぱら)古墳群が存在し、丘陵のほぼ中央の標高七二メートル付近には庚申塚古墳、さらにこの丘陵の最高部にあたる標高七七メートル付近には稲荷塚古墳と臼井塚古墳が位置する。この丘陵と大栗川を挟んだ対岸には、河川部との比高差二〇メートルほどの丘陵がある。ここには標高七六メートルから八三メートル付近を中心とした斜面上部に中和田横穴墓群が構築されており、斜面を登りきった丘陵上の縁辺部、標高八四メートル付近には万蔵院台古墳群が存在する。
 万蔵院台古墳群は行政区域としては日野市に属するが、大栗川の両岸に展開するこれらの高塚古墳群と横穴墓群を総称して「和田古墳群」と呼んでいる。多摩市内の各古墳群は和田古墳群の支群と位置付けられる。多摩市の古墳は時期的には古墳時代後期に限られるが、有力墳、群集墳、横穴墓群が一定範囲内に分布する特徴的な在り方を示している。

図4―31 和田古墳群分布図