中和田横穴墓群は、塚原古墳群や稲荷塚古墳のある丘陵とは大栗川を挟んだ対岸、大乗寺と十二社神社付近から厚生荘病院裏にかけての丘陵斜面に位置する。現在までに一五基の横穴墓が発掘調査されており、人骨や副葬品が発見されている。
今のところ中和田横穴墓群中で最も古いのは七世紀前半とされる第一二号墓で、多摩地区の横穴墓としても最古のものである。副葬品として大刀二口、刀子四本、鉄鏃一四本、ガラス小玉一〇六個などが出土している。この横穴墓群は八世紀前半ごろまで継続したとみられる。また、群中で最も東端に位置する厚生荘病院内横穴墓は、臼井塚古墳の横穴式石室とほぼ同規模の胴張り平面形を持つ比較的大型の横穴墓である。
中和田横穴墓群の存在する斜面上の丘陵縁辺部には日野市万蔵院台古墳群があり、三基の古墳が発掘調査されている。いずれも径一〇メートル台の円墳で、塚原古墳群と同様な自然の川原石を使用した横穴式石室を持つ。六世紀末から七世紀前半にかけて造られたものと推定される。