こうした情況が進んだ結果、郡領の選考にはかなり厄介な事態が生じるようになった。譜第の資格を持ち、労効の事実を誇る多数の候補者が就任を競望するなかで、適任者を公正な方法で選び出すことは、選考を行う国司や式部省にとって負担と責任の重い作業となっていった。これを受けて朝廷は、天平七年(七三五)に郡司任用法の整備を行い、それまで必ずしも明確でなかった選考手続を新たに定めた。これによれば、郡領の選考に際しては候補者の数に枠をはめ、系譜上に存在する郡領就任者の数にしたがって、譜第の資格が重大な者四・五名をまず選び、その中から年齢・人格・才能などを勘案して適任者を選考することとした。また、労効抜群の者がいれば、候補者に加えることを認めた。しかし、こうした方法を定めたのちも、就任を競望する者は絶えず、選考にはしばしば問題が生じたらしい。
この結果、いわば選考方法の決定版として出されたのが天平勝宝元年の任用法改定である。ここでの改定は、この時点で譜第重大な家を郡ごとに数家選定し、今後はその家を嫡系の原理に従って継承させ、以後の郡領は譜第重大家嫡系の者のみを候補者として選考することとしたものである。この結果、郡領となり得る資格を持つ者は郡内でかなり限られた存在となり、その中から年齢・才能等を勘案すれば、選考は極めて機械的に行うことが可能となった。しかし、こうした方法では、郡内の有力者の多くが候補者から排除されるうえ、少数の候補者の中に常に郡司としての適任者がいるとは限らないなど、多くの新たな問題を抱えることともなった。そして、限られた存在となった譜第重大家相互での郡領就任をめぐる争いはいよいよ激烈となり、これが神火の頻発を招いたのである。
譜第重大家の嫡系であっても、ポストに空きがでなければ郡領になることはできない。ところが郡司は終身の任で任期の定めがないから、現任の郡領をその地位から引きずり下ろさなければ、機会は回ってこない。神火の発生は、郡領の交替を引き起こす願ってもないチャンスとなった。天平勝宝四年(七五二)には、郡司の職務怠慢をいさめる法令が出され、官物を欠失させた郡司は理由を問わず解任して罪を科し、さらに譜第資格をも取り消して、以後はその郡司の子孫を郡領選考の候補者としないこととされていた。これによれば、正倉に火災があって官物が焼失した場合、現任の郡領は直ちに解任されることとなる。この結果、次期郡領就任を競望する譜第重大家やその周辺の者が、郡領の交替をねらってひそかに正倉に放火し、これを神火に見せかける事件が頻発することとなったのである。入間郡の正倉神火事件も、同様の背景をもって発生したものであろう。
年月 | (神火に対する認識と)対策 | 出典 |
天平勝宝4年(752)11月 | 官物を欠失させた郡司は解任して罪を科し、譜第の資格は取り消す。 | 続日本紀 |
天平宝字7年(763)9月 | 国郡司等、国神をうやまわないことの咎。→国司目以上を交替させ、良材を登用する。 | 続日本紀 |
宝亀4年(773)8月 | 官物を焼いた郡司は解任。但し上京していたり、犯人を逮捕した場合は酌量する。 | 続日本紀 |
郡司譜第の者が現任郡司の失脚をはかって放火→譜第の者は選考対象とせず、譜第以外から有能者を任用する。 | ||
消火に当らなかった軍毅も解任する。 | ||
宝亀10年(779)10月 | 国郡司の職務怠慢→天平宝字7年の法令を適用する。 | 三代格 |
郡司の任を奪おうとして放火→死罪。譜第の資格を取り消す。虚納隠蔽→死罪。 | ||
延暦5年(786)6月 | →国司の公廨を剥奪し、焼失した官物を補填させる。 | 続日本紀 |
延暦5年(786)8月 | 郡司譜第の者が現任郡司の失脚をはかり、あるいは虚納を隠蔽しようとして放火する→国司・郡司・税長に共同で弁償させる。解任や譜第の資格取り消しは行わない | 貞観交替式・続日本紀 |
延暦12年(793)4月 | →弁償は停止し、法に従って罪を課する。 | 貞観交替式・三代格 |
弘仁3年(812)8月 | →国司・郡司・税長共同で弁償させる。 | 貞観交替式・三代格 |