奈良時代には墓制が大きく変化した。古墳の造営は終わり、かわって登場したのが火葬墓である。火葬墓は仏教に伴って七世紀末の畿内で始まった葬制で、やがて天皇や貴族、一般人など、僧侶以外にも普及していった。全国的にみて、武蔵国は比較的早く火葬墓を導入した地域であり、多摩丘陵にも火葬墓が多いが、多摩市新堂遺跡では奈良時代初期の土師器甕三点、皿一点、須恵器杯二点がまとまって出土し、火葬墓と考えられている。多摩丘陵でも最古の部類に属するものであるが、多摩市域では普及しなかったらしく、他に例はない。奈良時代に始まった火葬墓は平安時代にも継続されたが、中世には鎌倉の矢倉と並んで武士階級の墓とされる地下式土壙が新たな墳墓型式として出現し、多摩丘陵の各地に普及していった。
図4―64 東寺方遺跡の奈良時代住居配置(網目は古墳時代、斜線は平安時代)