九世紀の国司と在地

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この時期の武蔵国司となった人物は多数知られるが、治績をうかがえる事例は少ない。その中で、九世紀前期に武蔵守となった百済王慶仲(くだらのこにきしきょうちゅう)については簡単な伝記が残っている(『続日本後紀』承和八年四月庚申条)。それによれば、慶仲は大器というわけではないが、有能な官人としての評判があり、釣りが上手で、また非常に力が強かった。東国より帰郷する途中の渡船場で無頼の者が徒党を組んで横暴を働いているのを見て、これをむちで打つと、打たれた者の額の皮がはがれて垂れ下がるほどであった。これを見て無頼の者たちも引き下がり、迷惑していた庶人は大いに喜んだという。承和十二年から数年間、武蔵権守および武蔵守を勤めた丹墀門成(たじひのかどなり)も武断派として知られた人物であった。土豪たちが国司の命に従わないために難治と言われた丹波国に介として以前に赴任した際には、むち打ち刑を多用する猛政を施し、数年にして国司に楯突く者はいなくなってしまった。その門成が赴任してくるというので、「盗賊阡(みち)に充(み)つ」といわれるほど治安の悪かった武蔵国内も、門成の着任早々にして「風俗粛清し、奸猾(かんかつ)手をおさむ」というように静まってしまったという(『日本文徳天皇実録』仁寿三年三月壬子条)。これらの話からは、武断的支配を行わないと治まらないような武蔵国内の情勢をうかがうことができる。武蔵国では、富豪層は単なる財力にとどまらず武力を含めた実力を有していたのである。富豪層相互に利害対立が生じると、ややもすれば武力対立に発展することが多く、これが治安の悪化をもたらしていた。
 九世紀後期になると、郡司などとして地方行政業務に関わる富豪層が、国内での税の徴収や貢納品の京への輸送を請け負いながら、その物品を隠匿・横領するというかたちで国衙に対捍する動向が全国的に見られるようになる。先の状況から見て、武蔵国の情勢は一層厳しいものであったと思われる。その時期、元慶元年(八七七)に武蔵守となった紀安雄(きのやすお)は、もともと学問で評判を挙げた人物で、人柄も穏やかであった。武蔵守としての治世は簡素で恵み深いことを心がけたもので、そのため吏民は心を安んじ、評刊がよかったと伝えられる(『日本三代実録』仁和二年五月二十八日条)。前の慶仲や門成の例とは異なり、いわば文治派の国司として功績をあげたのである。同様の例としては、諸国司を歴任して功績のあった藤原保則(ふじわらのやすのり)を挙げることができる。こうした国司たちは、国内に力を持つようになってきた富豪層に対し力で押さえつけていうことを聞かせるのではなく、彼らの利権もある程度認めることで富豪層を体制内に取り込み、そのことによって業務を円滑に進めるという国司の新しい部内支配策の方向を示している。九世紀半ばごろから武蔵国でも神社への神階の授与が相次いで行われるが、これはその神社の祭祀を支えている地域の有力者たちの政治力を体制内に位置づけ、保護を与えることでもあった。九世紀を通じて、郡司・富豪層は徐々にではあるが地域における政治的地歩を固めつつあり、それに応じた地方支配政策の転換が求められていた。
表4―15 平安前期の武蔵守
時期 氏名 備考 出典
大同元(806)~ 藤原内麻呂 中納言 資1―129
大同2(807) 藤原真夏 公卿補任
大同3(808) 安倍鷹野 日本後紀
大同4(809)~ 磯野王 図書頭 資1―132
弘仁元(810)~3(812) 吉備泉 公卿補任
弘仁4(813)~ 坂上鷹養 日本後紀
天長2(825) 大伴国道 公卿補任
天長3(826) 藤原綱継 公卿補任
天長3(826)~5(828) 大伴国道 公卿補任
~天長7(830) 石川河主 類聚国史
天長9(832)~承和2(835) 文室秋津
公卿補任
続日本後紀
承和3(836)~ 道野王 文徳実録
承和7(840)~8(841) 正道王 資1―154
承和8(841) 源信 続日本後紀
承和9(842)~ 田口佐波主 資1―158
承和12(845)~ 佐伯利世
(権)丹墀門成
資1―163・165
承和13(846)~ 丹墀門成 資1―168
嘉祥2(849)~ 橘本継 資1―174
嘉祥3(850)~ 丹墀石雄 資1―179
斉衡元(854)~ 文室笠科 資1―183
天安2(858)~ 良岑長松
(権)房世王
資1―187
資1―188
貞観3(861)~ (権)平春香 前介 資1―196
貞観4(862)~ 藤原忠雄 資1―199
貞観6(864)~ (権)平有世 刑部大輔 資1―205
貞観9(867) 橘春成 資1―213
貞観9(867)~ 藤原安棟 前筑前守 資1―214
元慶元(877)~ 紀安雄 三代実録
元慶4(880)~6(882) (権)弘道王 三代実録
元慶8(884)~仁和元(885) (権)源行有 三代実録
仁和元(885)~ 藤原貞幹
(権)源長淵
資1―241
資1―242
仁和2(886)~ (権)棟貞王 神祇伯 資1―244
延喜6(906)~ 藤原邦基 資1―251