九世紀後期になると、郡司などとして地方行政業務に関わる富豪層が、国内での税の徴収や貢納品の京への輸送を請け負いながら、その物品を隠匿・横領するというかたちで国衙に対捍する動向が全国的に見られるようになる。先の状況から見て、武蔵国の情勢は一層厳しいものであったと思われる。その時期、元慶元年(八七七)に武蔵守となった紀安雄(きのやすお)は、もともと学問で評判を挙げた人物で、人柄も穏やかであった。武蔵守としての治世は簡素で恵み深いことを心がけたもので、そのため吏民は心を安んじ、評刊がよかったと伝えられる(『日本三代実録』仁和二年五月二十八日条)。前の慶仲や門成の例とは異なり、いわば文治派の国司として功績をあげたのである。同様の例としては、諸国司を歴任して功績のあった藤原保則(ふじわらのやすのり)を挙げることができる。こうした国司たちは、国内に力を持つようになってきた富豪層に対し力で押さえつけていうことを聞かせるのではなく、彼らの利権もある程度認めることで富豪層を体制内に取り込み、そのことによって業務を円滑に進めるという国司の新しい部内支配策の方向を示している。九世紀半ばごろから武蔵国でも神社への神階の授与が相次いで行われるが、これはその神社の祭祀を支えている地域の有力者たちの政治力を体制内に位置づけ、保護を与えることでもあった。九世紀を通じて、郡司・富豪層は徐々にではあるが地域における政治的地歩を固めつつあり、それに応じた地方支配政策の転換が求められていた。
時期 | 氏名 | 備考 | 出典 |
大同元(806)~ | 藤原内麻呂 | 中納言 | 資1―129 |
大同2(807) | 藤原真夏 | 公卿補任 | |
大同3(808) | 安倍鷹野 | 日本後紀 | |
大同4(809)~ | 磯野王 | 図書頭 | 資1―132 |
弘仁元(810)~3(812) | 吉備泉 | 公卿補任 | |
弘仁4(813)~ | 坂上鷹養 | 日本後紀 | |
天長2(825) | 大伴国道 | 公卿補任 | |
天長3(826) | 藤原綱継 | 公卿補任 | |
天長3(826)~5(828) | 大伴国道 | 公卿補任 | |
~天長7(830) | 石川河主 | 類聚国史 | |
天長9(832)~承和2(835) | 文室秋津 |
公卿補任 続日本後紀 |
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承和3(836)~ | 道野王 | 文徳実録 | |
承和7(840)~8(841) | 正道王 | 資1―154 | |
承和8(841) | 源信 | 続日本後紀 | |
承和9(842)~ | 田口佐波主 | 資1―158 | |
承和12(845)~ | 佐伯利世 (権)丹墀門成 |
資1―163・165 |
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承和13(846)~ | 丹墀門成 | 資1―168 | |
嘉祥2(849)~ | 橘本継 | 資1―174 | |
嘉祥3(850)~ | 丹墀石雄 | 資1―179 | |
斉衡元(854)~ | 文室笠科 | 資1―183 | |
天安2(858)~ | 良岑長松 (権)房世王 |
資1―187 資1―188 |
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貞観3(861)~ | (権)平春香 | 前介 | 資1―196 |
貞観4(862)~ | 藤原忠雄 | 資1―199 | |
貞観6(864)~ | (権)平有世 | 刑部大輔 | 資1―205 |
貞観9(867) | 橘春成 | 資1―213 | |
貞観9(867)~ | 藤原安棟 | 前筑前守 | 資1―214 |
元慶元(877)~ | 紀安雄 | 三代実録 | |
元慶4(880)~6(882) | (権)弘道王 | 三代実録 | |
元慶8(884)~仁和元(885) | (権)源行有 | 三代実録 | |
仁和元(885)~ | 藤原貞幹 (権)源長淵 |
資1―241 資1―242 |
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仁和2(886)~ | (権)棟貞王 | 神祇伯 | 資1―244 |
延喜6(906)~ | 藤原邦基 | 資1―251 |