武蔵の神々

486 ~ 488
律令制のもとでの地方神社行政は、八世紀後半から九世紀にかけて、班幣(はんぺい)制度の修正、神祇職の統制、官社の申請、名神(みょうじん)制度の成立というかたちで、中央の神祇官中心から国司への委任という方向へと転換した。
 さらに九世紀に入ると、神階の授与を介して、国司による地方支配の進展が図られた。とくに嘉祥年間(八四八~八五〇)、貞観年間(八五九~八七六)、寛平年間(八八九~八九七)には、大規模な諸神同時叙位が行われ、『貞観式』段階で、神階中心の神社行政へと転換した。それは在地社会の動揺に対応したものであり、国司と結びついて国内における自己の政治的地位を高めようとした首長層・富豪層と、任国支配の安定のために宗教的国内秩序を必要とした国司双方の思惑が一致した結果である。また、それは在地社会への中央政府の関心の減退を背景とするものでもあった(小倉慈司「八・九世紀における地方神社行政の展開」『史学雑誌』一〇三―三 一九九四)。
 さて、八世紀以来の官社を整理した公簿を集大成したものとして、延長五年(九二七)、『延喜式』神名帳が編まれた。これは『延喜式』の巻九「神名上」と巻十「神名下」とを指すもので、三一三二座の祭神、二八六一所の神社を載せている。このうち、武蔵国については四四座を載せ、多磨郡所在のものも八座を載せている(資一―275)。武蔵国の四四座のうち、大社に列せられているのは、氷川(ひかわ)神社と金佐奈(かなさな)神社の二社のみであり、他はすべて小社である。
 氷川神社は足立郡にあり(埼玉県大宮市高鼻)、名神大社に列し、中世以降は武蔵国一宮とされた。もと武蔵国造の奉祭していた神社である。
 金佐奈神社は児玉郡にあり(埼玉県児玉郡神川村二ノ宮)、金鑽神社とも称し、名神大社に列した。本殿はなく、拝殿背後の御室山をご神体とする。
 多磨郡の八座はいずれも小社であり、神階授与に預かったのは、阿伎留(あきる)神社と小野(おの)神社の二社のみである。
 阿伎留神社は、現在あきる野市五日市にある。元慶八年(八八四)七月に、正五位上勲六等の「畔切(あぜきり)神」に従四位下を授けたと見えるのが、史料上の初見である(資一―240)。
 小野神社については、別項を立てて述べる。
 布多(ふた)天神社は、現在調布市調布ケ丘にある。「ふたあま」神社とも訓んだようである。「布多」は、『倭名類聚抄』に見える郷名「新田<邇布多>」の略かと思われ、「調布」と関係の深い語である。元々多摩川畔の古天神に鎮座していたが、文明のころ、洪水に遭い、現社地に遷座したと伝える。
 大麻止乃豆乃(おおまとのつの)天神社は、現在稲城市大丸にある。なお、青梅市御嶽山の御嶽(みたけ)神社の背後にあるという御嶽大権現の地主社を、大麻止乃豆乃天神社にあてる説もある。
 阿豆佐味(あつさみ)天神社は、現在西多摩郡瑞穂町殿ケ谷にある。寛平四年(八九二)高望王(たかもちおう)の創建という伝承を持つのは、この神社を奉祭していた村山党によるものであろう。
 穴沢神社は、現在稲城市矢野口にある。
 虎柏(とらかしわ)神社は、現在調布市佐須町にある。ここは狛江郷の中心地であり、「虎柏」も「虎狛」の誤りで、本来は「虎狛(こま)神社」であったとする説が有力である。「こま」とは、高麗、すなわち高句麗のことであり、この地に移配された高句麗からの渡来人によって祀られたのであろう。近辺には同じく高句麗からの渡来人によって建てられたかと思われる深大寺がある。
 青渭(あおい)神社は、所在地をめぐって、現在の調布市深大寺、稲城市東長沼、青梅市沢井とする三説が存在する。いずれも確証を得ないが、青梅市沢井とするのが妥当かと思われる。
表4‐17 武蔵国所在神社への神階授与
資料番号 授与年 神社・神名 元の神階 授与神階 所在 神名帳
一‐一七三 嘉祥元年(八四八) 枌山名神 无位 従五位下 播羅郡 楡山神社
一‐一七五 嘉祥二年(八四九) 伊波比神 従五位下 横見郡 伊波比神社
一‐一八六 天安元年(八五七) 倭文一神 正六位上 従五位下 (不明) 記載なし
一‐一九〇 貞観元年(八五九) 氷川神 従五位下 従五位上 足立郡 氷川神社
一‐二〇二 貞観四年(八六二) 秩父神 正五位下 正五位上 秩父郡 秩父神社
一‐二〇三 貞観四年(八六二) 金佐奈神 正六位上 従五位下 児玉郡 金佐奈神社
一‐二〇四 貞観五年(八六三) 氷川神 従五位下 正五位下 足立郡 氷川神社
一‐二〇六 貞観六年(八六四) 若雷神 従五位下 従五位上 (不明) 記載なし
一‐二〇九 貞観七年(八六五) 氷川神 正五位下 従四位下 足立郡 氷川神社
一‐二一〇 貞観七年(八六五) 伊多之神 従五位下 従五位上 (不明) 記載なし
一‐二一七 貞観十一年(八六九) 氷川神 従四位下 正四位下 足立郡 氷川神社
一‐二二〇 貞観十三年(八七一) 秩父神 正五位上 従四位下 秩父郡 秩父神社
椋神 従五位下 従五位上 秩父郡 椋神社
一‐二二七 貞観十七年(八七五) 河輪神 正六位上 従五位下 (不明) 記載なし
稲聚神 正六位上 従五位下 (不明) 記載なし
一‐二三三 元慶二年(八七八) 氷川神 正四位下 正四位上 足立郡 氷川神社
一‐二三四 元慶二年(八七八) 秩父神 従四位上 正四位下 秩父郡 秩父神社
一‐二四〇 元慶八年(八八四) 畔切神 正五位上 従四位下 多磨郡 阿伎留神社
小野神 従五位上 正五位上 多磨郡 小野神社