名称 | 前身 | 焼印 | 勅旨牧となった時期 | 駒牽の期日 (10世紀) |
貢馬の数 | 別当 | 備考 |
石川牧 小川牧 由比牧 |
令制の牧か | 「官」字 | 9世紀? | 8月25日 | 30頭 | 1名 | 「諸牧」と総称され、多くは3牧が一括して扱われる。 |
立野牧 | 令制の牧か | 「官」字 | 延喜9年(909) | 8月25日 | 20頭 | 1名 | 貢馬数はもと15頭。駒牽儀式は「諸牧」と別立。 |
小野牧 | 院の牧(陽成上皇) | 「抎」字 | 承平元年(931) | 8月20日 | 40頭 | 1名 | 貞観年間には「冷然院」(清和天皇)牧か。 |
秩父牧 | 院の牧(宇多上皇→醍醐天皇) | 「未」字 | 承平3年(933) | 8月13日 | 20頭 | 1名 | 秩父郡石田牧・児玉郡阿久原牧とからなる。 |
以上から、武蔵国では十世紀以降もなお盛んに御牧の設定が行われていることがわかり、これは武蔵国御牧の特徴であろう。それととともに、その前提として、院の牧の設置が武蔵国で進んでいた状況を認めることができる。承平元年(九三一)に御牧となった小野牧は、延喜十七年に陽成院領として貢馬を行っていることが見えるから(資一―263)、陽成上皇の牧から御牧に変更されたものであろう。上皇・天皇の私的な牧として九世紀中期には存在していたことが考えられる(『日本三代実録』・貞観七年十二月十九日条)。承平三年に御牧となった秩父牧も、延喜年間には宇多院(宇多上皇)領として既に存在しており(資一―249)、その後朱雀院(すざくいん)(醍醐天皇)に伝領され、醍醐天皇の死後御牧となったものである。