十世紀には駒牽の儀式はより整備され、毎年八月の牧ごとに定められた日に実施されている。武蔵国では秩父牧の駒牽が十三日、小野牧が二十日、「諸牧」と立野牧が二十五日と定められていた。このほか、甲斐の「諸牧」が七日、信濃の「諸牧」が十五日(のち十六日)、甲斐の穂坂牧が十七日、信濃の望月牧が二十三日、上野の「諸牧」が二十九日であった。
駒牽は、通常、内裏の正殿である紫宸殿に天皇が出御し、王卿が参列して行われる。まず、牽き回しが行われ、第一の御馬を牽いた別当(または牧監)を先頭に近衛(このえ)らに牽かれて貢馬が紫宸殿の南庭に牽き入れられ、そのまま庭中を三廻りほどし、また近衛らが騎乗してみせる。これはいわば、貢馬の質を参会者が点検する意味を持っている。その後、貢馬を二列に整列させ、分取(わけとり)が行われる。分取は、まず左馬寮、次に右馬寮という順で左右が貢馬を順に一頭ずつ選び取る形で進められる。天皇の意向によっては、左右馬寮の分取が始まる前に、上皇・親王・摂関などに送られる馬を選び取る場合もあり、あるいは、左右馬寮の分取がある程度進んだところで一旦中断し、馬寮や近衛の官人、公卿らに一頭ずつ選び取らせて下賜する場合もある。分取が終わると、馬寮への給馬には近衛らが騎乗して庭を東西に馳せ渡り、また下賜を受けた廷臣らは馬を整列させ、天皇の前で拝舞する。武蔵国の場合、秩父牧の駒牽で上皇・親王・摂関らに貢馬が送られた例もあるが、他は左右馬寮の分取のみが行われたようである。また、諸牧と立野牧の駒牽が八月二十五日の同日に行われるが、分取は、まず諸牧の貢馬、次に立野牧の貢馬の順に行われ、別個の扱いをされる原則であった。
駒牽は、十世紀の前半に最も盛んに行われた。将門の乱で東国が混乱した天慶四年(九四一)には、期日の大幅な遅延を余儀なくされているが、他は遅れても一か月程度に留まっている。しかし十世紀末以降になると、大幅な期日の遅延が目立つようになり、前年分の駒牽が年を越えて行われる例すら見られる。これは、牧を現地で経営する者たちが、さまざまな口実を設けて定められた貢馬数や期日を守らなくなったためである。駒牽が期日通りに行えない場合には、その旨の届けを出すこととなっているが、その場合の理由としてしばしば用いられるのが「御馬逗留(おんまとうりゅう)」である。これは、貢馬は国を出発しているが、京へ向かう路次で逗留を余儀なくされているとして、駒牽の遅延を届け出るものである。十世紀の前半には、実際に途中の河川が氾濫して道を進めなくなったために期日に遅れたり、行路で病気となった貢馬を路次の国に残して療養させたために貢馬数が不足するなどの例が見られるが、後になると「御馬逗留」とはいっても、実際に国から貢馬を進発させたのか疑問な場合がまま見受けられる。また、牧の子馬や母馬が狼や猪に襲われたというような理由をつけて、牧の経営報告である牧馬帳を操作することで、貢馬数の減少を正当化することも可能であった。朝廷は、貢馬の数と期日の厳守を求める法令を出したり、中央から検牧使を派遣するなどの対策をとるが(資一―365・379)、あまり効果はあがらなかった。かつては、中央の官人たちが熱意をもって参加する儀式であった駒牽も、後には担当の官人が不在などの理由で実施できなくなる場合も生じ、武蔵国の駒牽は十一世紀中期以降、史料に見えなくなる。
年 | 西暦 | 月日 | 牧 | 遅延 | 数 | 不足 | 備考 | 出典 |
貞観十 | 八六八 | 八・二〇 | 諸牧ヵ | 資一-二一五 | ||||
貞観十一 | 八六九 | 八・二〇 | 諸牧ヵ | 一-二一六 | ||||
延喜三 | 九〇三 | 八・一三 | 秩父 | 院の牧 | 一-二四九 | |||
延喜五 | 九〇五 | 八・一四 | 秩父 | 院の牧 | 一-二五〇 | |||
延喜十六 | 九一六 | 秩父 | 院の牧 | 一-二六〇 | ||||
延喜十七 | 九一七 | 九・七 | 小野 | 三〇 | 院の牧 | 一-二六三 | ||
延喜十九 | 九一九 | 八・二五 | 諸牧ヵ | ◯ | ? | 一-二六八 | ||
延長三 | 九二五 | 八・一三 | 秩父 | 院の牧 | 一-二七一 | |||
承平元 | 九三一 | 八・一五 | 秩父 | 院の牧 | 一-三〇四 | |||
九・二五 | 秩父 | 院の牧 | 一-三〇九 | |||||
承平四 | 九三四 | 八・二六 | 諸牧 | △ | ? | 一-三一二 | ||
以前 | 小野 | ? | ||||||
立野 | △ | 一五 | × | |||||
立野 | △ | 四〇 | ? | |||||
- | 小野 | × | 延引 | 一-三四七 | ||||
天慶六 | 九四三 | 九・一五 | 秩父 | △ | 二〇 | ◯ | 一-三五三 | |
立野 | × | ? | ||||||
天暦元 | 九四七 | 八・二七 | 小野 | △ | 一五 | × | 一-三五九 | |
一〇・二 | 諸牧 | × | 二〇 | × | 一-三六一 | |||
立野 | △ | 四 | × | |||||
立野 | × | 五 | × | |||||
天暦十 | 九五六 | ? | ? | ? | 一-三六六 | |||
天徳元 | 九五七 | 八・一六 | 秩父 | △ | 二〇 | ◯ | 一-三六七 | |
天徳四 | 九六〇 | - | 秩父 | × | 延引 | 一-三六八 | ||
立野 | △ | 二 | × | |||||
応和二 | 九六二 | 八・二八 | 秩父 | △ | ? | 逗留 | 一-三七二 | |
康保二 | 九六五 | 九・二九 | 諸牧 | △ | ? | 逗留 | 資一-三七三 | |
康保四 | 九六七 | 九・二六 | 諸牧 | △ | 二〇 | × | 一-三七四 | |
天禄三 | 九七二 | 一〇・二 | 秩父 | × | ? | 一-三七七 | ||
天延二 | 九七四 | 九・一三 | 秩父 | △ | ? | 一-三七八 | ||
九・二八 | 立野 | × | ? | 一-三八一 | ||||
天元二 | 九七九 | 一〇・八 | 立野 | × | ? | 一-三八二 | ||
九・二五 | 秩父 | × | ? | 一-三八五 | ||||
立野 | × | ? | ||||||
寛和元 | 九八五 | 九・八 | 秩父 | △ | ? | 一-三九八 | ||
正暦元 | 九九〇 | 一一・二八 | 諸牧 | × | ? | 一-四〇一 | ||
一一・九 | 諸牧 | × | ? | 一-四〇四 | ||||
立野 | × | ? | ||||||
長保四 | 一〇〇二 | 正・一七 | 秩父 | × | ? | 前年分 | 一-四一六 | |
長保五 | 一〇〇三 | 正・二一 | 秩父 | × | 八 | × | 前年分 | 一-四一九 |
立野 | × | ? | ||||||
寛弘三 | 一〇〇六 | 正・一〇 | 秩父 | × | ? | 前年分 | 資一-四二六 | |
寛弘六 | 一〇〇九 | 一一・五 | 秩父 | × | ? | 一-四二九 | ||
寛弘八 | 一〇一一 | 一〇・五 | 秩父 | × | ? | 一-四三一 | ||
一二・二八 | 秩父 | × | ? | 一-四三五 | ||||
寛仁元 | 一〇一七 | - | 小野 | × | 延引 | 一-四三七 | ||
寛仁二 | 一〇一八 | 一一・一五 | 秩父 | × | 一〇 | × | 一-四四一 | |
寛仁四 | 一〇二〇 | ウ一二・三〇 | 立野 | × | ? | 一-四四三 | ||
万寿二 | 一〇二五 | 一二・一 | 秩父 | × | ? | 一-四五四 | ||
万寿四 | 一〇二七 | 正・一五 | 立野 | × | ? | 前年分 | 一-四五五 | |
× | ? | 「牧監」を拘留する。 | ||||||
立野 | × | ? | 前年分 | 一-四五八 | ||||
一二・二七 | 秩父 | × | ? | 一-四六五 | ||||
長元五 | 一〇三二 | - | 小野 | × | 延引 | 一-四六七 | ||
長元七 | 一〇三四 | 一一・二一 | 立野 | × | 四 | × | 一-四六九 | |
長暦二 | 一〇三八 | 正・二二 | 秩父 | × | ? | 前年分 | 一-四七二 | |
嘉保元 | 一〇九四 | - | 小野 | × | 延引 | 一-四九二 | ||
遅延:◯=期日 △=一か月以内の遅延 ×=一か月以上の遅延 ?=不明 数 :◯=定数 ×=不足 ?=不明 |