中世の気候

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気候は、その変動要因の多くを地球上の温度変化が占めている。近年、日本中世史の分野でも気候や気温などの自然環境の変動に注目する研究が進められるようになってきた。それらの研究には、アメリカのW・フェアブリッジ氏が海水面の上下変動によって地球上の寒暖を想定したフェアブリッジ曲線(海水準曲線)と呼ばれるグラフが多用されている。これは地球上の水が、寒冷な時期には氷や雪として陸上に固定されるため海水面が下降し、温暖な時期には氷雪が融けて海に流れ込み海面が上昇するという現象に注目したもので、日本においても文献史料・絵画資料や考古資料からの情報ともよく合致するとされている(山本一九七六、磯貝一九九四、峰岸一九九五など)。

表5―1 フェアブリッジ曲線

 このグラフから中世に関わる部分を見ると、十世紀から十二世紀にかけて、ロットネスト海進(温暖で海面が上昇)が起こり、十四世紀から十六世紀にかけては小氷期ともいわれる寒冷な気候となり、パリア海退(寒冷で海面が下降)が起きている。
 これを大まかに日本史にあてはめてみると、十世紀から十二世紀のロットネスト海進期には、「大開墾(だいかいこん)の時代」とも称される時期に当たり、荘園公領制が形成され、現在の我々には寒冷なイメージがある東北地方では藤原三代の文化が花開いた時期でもあった。一方、十四世紀から十六世紀のパリア海退期には、鎌倉時代の寛喜・正嘉の飢饉(ききん)をはじめとして、室町時代には飢饉が頻発して土一揆(つちいっき)などが誘起されるようになるとともに、荘園公領制の変質あるいは崩壊を促した。また、戦国動乱もこの生産条件の悪化に一因するという見解も出されている(藤木一九九五)。
  山本武夫『気候の語る日本の歴史』一九七六年

  磯貝富士男「日本中世史研究と気候変動論」『日本史研究』三八八、一九九四年

  峰岸純夫「自然環境と生産力からみた中世史の時期区分」『日本史研究』四〇〇、一九九五年

  藤木久志『雑兵たちの戦場』一九九五年