多摩市内の居館跡

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多摩ニュータウン開発に伴う発掘調査により、多摩市内においても鎌倉時代にかかる居館跡・集落跡の発掘が行なわれた。それらの成果によれば、文献資料によっては知りえなかった領主の存在を窺わせる。
 連光寺諏訪坂のTNTNo.二二遺跡は、丘陵先端部に位置する十三世紀前半の居館跡である。建物としては掘立柱建物二棟、竪穴住居一棟のほか、小鍛冶工房跡一棟が注目される。多摩郡は馬の生産地でもあり、馬具の生産を行なっていたのかもしれない。また、この遺跡は地鎮のために使われた鏡が出土した事でも知られる(佐藤一九七五)。
 永山五丁目のTNTNo.五二遺跡は、丘陵裾部に位置する三棟の掘立柱建物を伴う遺跡で、十三世紀初頭に廃絶したと考えられている。この遺跡を『吾妻鏡』文治二年(一一八六)二月三日条(資一―588)に見られる「真慈悲寺」に比定する意見があったが、真慈悲寺の比定地として日野市百草の松連寺跡がほぼ確実となったため、この遺跡の位置付けに関して再検討が求められる。中心となる二間五間の建物が、TNTNo.二二遺跡の中心的建物と規模が共通することからも居館跡として見直しが出来ないであろうか。
 このほか、多摩市内において鎌倉時代にかかる建物跡を検出した遺跡は、TNTNo.九一・四六二遺跡、TNTNo.二七一・四五二遺跡などがあるが、いずれも建物の性格付けは行なわれておらず、今後の課題といえよう。

図5―28 多摩市内居館分布図

  佐藤攻「東京都多摩ニュータウンNo.22遺跡の調査」『考古学ジャーナル』一〇六、一九七五年