長弁は、貞治元年(一三六二)の誕生と考えられ、深大寺本堂の本尊阿弥陀如来座像背板銘によれば、永享八年(一四三六)七五歳の時には深大寺第五二代の院主であった。その長弁が残した『私案抄』は、二二歳から五〇年ほどの間に長弁が作文した諷誦文・意趣書・願文・勧進状・表白文などを集成したもので、現存するものは全て写本である。長弁が残した文章は、京都市左京区一乗寺竹ノ内町に所在する天台宗曼殊院所蔵の『勧進帳彙』にも一一編が採録されており、遠く京都にも知れわたっていたが、『私案抄』自体が世に広められたのは、江戸時代後期の国学者で塙保己一の門弟であった中山信名が、偶然に江戸柳原の骨董商で買い求め、『続群書類従』により刊行された事による。『私案抄』には、五七編の文章が載せられているが、ほとんどが周辺地域における仏教行事で使われたもので、多摩川流域の仏教世界を知る絶好の史料である(調布市一九八五・小川一九九五)。以下、いくつかの事例を見て行く事にする。
調布市市史編集委員会編『深大寺住僧長弁の文集 私案抄』一九八五年
小川信「中世深大寺の僧長弁の活動と調布周辺」『調布史談会誌』二四、一九九五年